京/都/認/知/症/母/親/承/諾/殺/人/事/件/
2006年
1月31日
市内のゆかりの地を車椅子を押して散策
その後、母親の首を絞めてあやめる
自らも自殺を図るが死に切れず
2月1日
桂川のほとりで発見
絶句するほど悲しい事件…
ちょうど3年経ちます
合掌
有名な動画と当時のニュース動画です
youtubeにアップなさった職人さんに感謝しつつ。
よかったらパソコンから2つ見てください↓
==
温/情/判/決
「痛ましく悲しい事件だった。今後あなた自身は生き抜いて、絶対に自分をあやめることのないよう、母のことを祈り、母のためにも幸せに生きてください」
承/諾/殺/人とは言え殺人を犯した被告
初公判、その後最終弁論と
法廷では異例の展開を見せた
裁/判/官の目には涙があふれ、検/察/官は小さく嗚咽し、
傍/聴/席からすすり泣く声が聞こえた。
法廷内の誰もが泣いた…
懲役2年6月、執行猶予3年(求刑懲役3年)が言い渡された
・検察側は被告に有利な再現を行い
・裁判官も行政の対応に苦言を呈し、被告に対し他の事案とは明らかに異なる温かい言葉をかけている
法廷の誰もが泣いた、と言われる裁判
殺/人/事/件では、異例中の異例である
==
京/都 認/知/症/母/親/殺/人/事/件
認/知/症の母親 職を離れ介護に専念していた息子
経済的に困窮し、生/活/保/護/申/請を行うも認められなかった
結果として 母親の同意の上 無/理/心/中をはかることになる
『もうお金無いんやで 生きられるのも この一月までや』
「そうか アカンか…」
『生きたいんか?』
「生きたいな 二人で行きたい。お前と一緒や。」
一月三十一日
わずかな所持金を持ち 最後の旅にでる
思い出の場所を巡り、そして死に場所を探す
たどり着いたのは 桂川のほとりであった
自宅にも近いこの地で 死のうと決心する
『桂川や もうお金ないやろ』
『ここで 終わりやで』
「そうか… アカンのか 康晴(死ぬのは)お前と一緒やで」
『すまんな、すまんな』
そう言い 涙を流す息子に
「康晴 こっち来い」
「わしの子や。(おまえが死ねないなら)わしがやったる」 と母
この言葉で 母の首を絞めた。
直後に自ら包丁で首を切り無理心中をはかった
二月一日 朝
河川敷の木の下で 老婆の死体が発見された
車椅子に乗っいた老婆は、寒さをしのげるよう毛布がかけられていた
その傍らで 刃物で首を傷つけた息子が倒れていた…
======
というのが事件のあらまし。
ヌーちゃんねろ
各所ブログ
web日記
大手SNS
などなど膨大にかかれています
上記の文章、、、
えーと
えーと
えーと
私が去年 某にアップした文章ですw
それを自分でそのままコピーし載せてみますw
私、
もちろんこの親子さんと何の関係もないです。
単純に、こういう事件があったことを
知ってもらえればいいんです
ただそれだけです
当時、このニュースをテレビで見たあと
ニ/ュ/ー/速/だったかな、それで事件を確認して
物凄い 落ち込みました
ああああああ
こんな事件あるんだ
と、余りの悲しさに
物凄い落ち込みました。
2月1日に発見されて、被告も捕まった
数ヵ月後、地裁で初公判開かれた。
そのときの法廷。
裁/判/官
検/察/側
傍/聴/人
皆さんがすすり泣いたと言われています。
特に泣くなんてありえない裁/判/官と検/察/官
小さく嗚咽されるシーンもあったと報道されてます。
週刊誌
新聞
TV
でも取り上げられました・・・
被告を責めること、できるだろうか?
出来ないですよね。
そして苦しいながらも
切り詰めて
ギリギリの生活をしていた。
母親の世話も被告は毎日頑張っていたそうです。
なかなかできることではありません。
それなのに
それなのに
あやめてしまうなんて・・・
こうなる前に 別の選択肢は無かったのだろうか?
親子は行政にも相談してる。
役所の判断に間違いは無かったのだろうか???
不祥事続出の市役所である。
困らないはずの人間に、困ってる人に使うべきお金を
垂れ流しに使っていた市役所です。
詳しくは書きませんが。
まじむかつく事件いくつあるんだよ!と
突っ込みどころ満載なんです。
詳しく書きません。
”ホントに困ってる人には 援助して欲しかった・・・”
強くそう思います
生活保護の相談のことや、介護の相談など
被告が困って相談したことも報道されてます。
市役所は何をやっているんだろう…
ふざけんな!とも思いますね。
そして
この被告の父親が「ひとさまには迷惑をかけるな」
が
口癖だったそうです。
先に亡くなった父親のその口癖を忘れずに
こつこつを介護を続けていたそうです。
==
今は年老いた じいさんばあさんも
働き盛りの おじさん おばさんも
青春まっさかりの 兄ちゃん姉ちゃんも
わたしもあなたも
誰もが 幼き頃あったはず。
生まれたときは赤ん坊で
うんこおしっこもらして
エーンエーンと泣いて
誰かが助けてくれて
泣き止んだはず。
よちよち歩いて
大きくなっていく。
生まれたときは どうやって服を着ていただろうか?
靴下は誰が履かせてくれただろうか?
赤ん坊が自分でオムツ代えたのだろうか?
周りの人間が 世話してくれたと思います。
それは
母親であったり父親であったり
もしくはお婆さんや親類であったり。
だと思います。
もちろん親御さんが居ない状況で
育った人もいらっしゃいます。
オムツを代えてくれて
靴下を履かせてくれた人が必ずいらっしゃいます。
預けられた施設の人、もしくは親類さん、かな。
いっそう感謝しなくちゃね。
誰もが幼き時代に
たっぷり手間隙かけて
親に世話をしてもらったはず
親が年老いてしまったら
今度は世話するのは当然だと、私は思う。
お返し。。。と言うのもヘンだけど。。。
してもらったことを そのまま
してあげる
別に不思議なことじゃないと思う。
親に育ててもらってねーよ!
とおっしゃる人もいらっしゃると思います。
自分の子供じゃないのに、
オムツ替えたり、靴下を履かせたりするのは
並大抵のことじゃなく大変だと思います。
育ててもらった人と環境に大きく感謝しつつ
誰か困ってる人を助けることで
お返しして欲しいなあと思います。
==
いま2009年1月30日23時下書き
事件発生2006年1月31日といわれています。
発見されたのでが翌日2月1日。
ちょうど3年前です。
心から合掌します。
ほんとに
マジで
こんなことが二度とあってはいけない。
心から願います。
最後に…
私の父親
重度の認知症です
完全に私の名前も忘れました。
幼い頃、父が物凄く大好きでした。
今は元気なときの面影は全くありません。
悲しいを通り越してます。
でも 頑張らなくちゃね。
ブログにいっちょまえなこと書いてるくせに
完全にボケてる父親にむかつく時もあります。
そのときはいつもこの事件を思い出して
気持ちをリセットしています。
長い記事、失礼しました。
次はいつものネタブログにしますw
1月31日
市内のゆかりの地を車椅子を押して散策
その後、母親の首を絞めてあやめる
自らも自殺を図るが死に切れず
2月1日
桂川のほとりで発見
絶句するほど悲しい事件…
ちょうど3年経ちます
合掌
有名な動画と当時のニュース動画です
youtubeにアップなさった職人さんに感謝しつつ。
よかったらパソコンから2つ見てください↓
==
温/情/判/決
「痛ましく悲しい事件だった。今後あなた自身は生き抜いて、絶対に自分をあやめることのないよう、母のことを祈り、母のためにも幸せに生きてください」
承/諾/殺/人とは言え殺人を犯した被告
初公判、その後最終弁論と
法廷では異例の展開を見せた
裁/判/官の目には涙があふれ、検/察/官は小さく嗚咽し、
傍/聴/席からすすり泣く声が聞こえた。
法廷内の誰もが泣いた…
懲役2年6月、執行猶予3年(求刑懲役3年)が言い渡された
・検察側は被告に有利な再現を行い
・裁判官も行政の対応に苦言を呈し、被告に対し他の事案とは明らかに異なる温かい言葉をかけている
法廷の誰もが泣いた、と言われる裁判
殺/人/事/件では、異例中の異例である
==
京/都 認/知/症/母/親/殺/人/事/件
認/知/症の母親 職を離れ介護に専念していた息子
経済的に困窮し、生/活/保/護/申/請を行うも認められなかった
結果として 母親の同意の上 無/理/心/中をはかることになる
『もうお金無いんやで 生きられるのも この一月までや』
「そうか アカンか…」
『生きたいんか?』
「生きたいな 二人で行きたい。お前と一緒や。」
一月三十一日
わずかな所持金を持ち 最後の旅にでる
思い出の場所を巡り、そして死に場所を探す
たどり着いたのは 桂川のほとりであった
自宅にも近いこの地で 死のうと決心する
『桂川や もうお金ないやろ』
『ここで 終わりやで』
「そうか… アカンのか 康晴(死ぬのは)お前と一緒やで」
『すまんな、すまんな』
そう言い 涙を流す息子に
「康晴 こっち来い」
「わしの子や。(おまえが死ねないなら)わしがやったる」 と母
この言葉で 母の首を絞めた。
直後に自ら包丁で首を切り無理心中をはかった
二月一日 朝
河川敷の木の下で 老婆の死体が発見された
車椅子に乗っいた老婆は、寒さをしのげるよう毛布がかけられていた
その傍らで 刃物で首を傷つけた息子が倒れていた…
======
というのが事件のあらまし。
ヌーちゃんねろ
各所ブログ
web日記
大手SNS
などなど膨大にかかれています
上記の文章、、、
えーと
えーと
えーと
私が去年 某にアップした文章ですw
それを自分でそのままコピーし載せてみますw
私、
もちろんこの親子さんと何の関係もないです。
単純に、こういう事件があったことを
知ってもらえればいいんです
ただそれだけです
当時、このニュースをテレビで見たあと
ニ/ュ/ー/速/だったかな、それで事件を確認して
物凄い 落ち込みました
ああああああ
こんな事件あるんだ
と、余りの悲しさに
物凄い落ち込みました。
2月1日に発見されて、被告も捕まった
数ヵ月後、地裁で初公判開かれた。
そのときの法廷。
裁/判/官
検/察/側
傍/聴/人
皆さんがすすり泣いたと言われています。
特に泣くなんてありえない裁/判/官と検/察/官
小さく嗚咽されるシーンもあったと報道されてます。
週刊誌
新聞
TV
でも取り上げられました・・・
被告を責めること、できるだろうか?
出来ないですよね。
そして苦しいながらも
切り詰めて
ギリギリの生活をしていた。
母親の世話も被告は毎日頑張っていたそうです。
なかなかできることではありません。
それなのに
それなのに
あやめてしまうなんて・・・
こうなる前に 別の選択肢は無かったのだろうか?
親子は行政にも相談してる。
役所の判断に間違いは無かったのだろうか???
不祥事続出の市役所である。
困らないはずの人間に、困ってる人に使うべきお金を
垂れ流しに使っていた市役所です。
詳しくは書きませんが。
まじむかつく事件いくつあるんだよ!と
突っ込みどころ満載なんです。
詳しく書きません。
”ホントに困ってる人には 援助して欲しかった・・・”
強くそう思います
生活保護の相談のことや、介護の相談など
被告が困って相談したことも報道されてます。
市役所は何をやっているんだろう…
ふざけんな!とも思いますね。
そして
この被告の父親が「ひとさまには迷惑をかけるな」
が
口癖だったそうです。
先に亡くなった父親のその口癖を忘れずに
こつこつを介護を続けていたそうです。
==
今は年老いた じいさんばあさんも
働き盛りの おじさん おばさんも
青春まっさかりの 兄ちゃん姉ちゃんも
わたしもあなたも
誰もが 幼き頃あったはず。
生まれたときは赤ん坊で
うんこおしっこもらして
エーンエーンと泣いて
誰かが助けてくれて
泣き止んだはず。
よちよち歩いて
大きくなっていく。
生まれたときは どうやって服を着ていただろうか?
靴下は誰が履かせてくれただろうか?
赤ん坊が自分でオムツ代えたのだろうか?
周りの人間が 世話してくれたと思います。
それは
母親であったり父親であったり
もしくはお婆さんや親類であったり。
だと思います。
もちろん親御さんが居ない状況で
育った人もいらっしゃいます。
オムツを代えてくれて
靴下を履かせてくれた人が必ずいらっしゃいます。
預けられた施設の人、もしくは親類さん、かな。
いっそう感謝しなくちゃね。
誰もが幼き時代に
たっぷり手間隙かけて
親に世話をしてもらったはず
親が年老いてしまったら
今度は世話するのは当然だと、私は思う。
お返し。。。と言うのもヘンだけど。。。
してもらったことを そのまま
してあげる
別に不思議なことじゃないと思う。
親に育ててもらってねーよ!
とおっしゃる人もいらっしゃると思います。
自分の子供じゃないのに、
オムツ替えたり、靴下を履かせたりするのは
並大抵のことじゃなく大変だと思います。
育ててもらった人と環境に大きく感謝しつつ
誰か困ってる人を助けることで
お返しして欲しいなあと思います。
==
いま2009年1月30日23時下書き
事件発生2006年1月31日といわれています。
発見されたのでが翌日2月1日。
ちょうど3年前です。
心から合掌します。
ほんとに
マジで
こんなことが二度とあってはいけない。
心から願います。
最後に…
私の父親
重度の認知症です
完全に私の名前も忘れました。
幼い頃、父が物凄く大好きでした。
今は元気なときの面影は全くありません。
悲しいを通り越してます。
でも 頑張らなくちゃね。
ブログにいっちょまえなこと書いてるくせに
完全にボケてる父親にむかつく時もあります。
そのときはいつもこの事件を思い出して
気持ちをリセットしています。
長い記事、失礼しました。
次はいつものネタブログにしますw