【貨物列車の乗務】
 
着任先での職名は、貨物列車の車掌である「列車掛」のままだったけれど、
実際はほとんどが旅客列車の乗務だった。
赤い腕章を巻いて乗務することが、何かしら嬉しかった。
自宅からも近かった。通勤時間は10分くらい。
それ以外の二十数年、ほとんどが1時間以上かかって通勤してるけど。
 
担当線区は高山線、越美南線、そして太多線。
貨物列車は高山線だけで、運転本数が少なく、4本。
高山車掌区と2本ずつを分かち合っていて、
美濃太田では、岐阜~坂祝間の片道25km程度の乗務、

 

上りの乗務は、美濃太田から旅客列車に便乗して坂祝に到着、

ただ、超ローカル線でもあり、着いてから発車まで2時間以上。

 

そしてわずか30分の乗務、しかもノンストップ。
乗り継いだのち、美濃太田まで旅客列車に便乗して戻る、
それもまた列車がないから、2時間以上待ってから、
実際の乗務時間約30分に対して拘束時間6時間だった。
 
一方下りの場合は、早朝でもあり前日のうちに岐阜まで便乗、
乗務員宿泊所で泊まって、次の朝、乗り継ぎだった。
その列車は一緒に列車掛になった連中が担当の乗務列車で、
再会を喜び合ったモノだった。

 

通勤時間帯にかかっていて、反対方向の列車だったので、
同じ距離を2時間半程度だった。
途中の駅、と言うか終着ひとつ手前の鵜沼駅で長いこと、停まっているからで、
その停車時間に、駅前の喫茶店へ機関士さんと朝食に出かけることが多かった。
 
上下とも駅では、無線機を使用した入換えも担当した。
ボクが駅にいたときの入換えは、赤と緑の旗を使っていた。
規程では「赤色旗(せきしょくき)」「緑色旗(りょくしょくき)」と言う。
そして機関車に乗り込んで、その先端で旗を振って誘導していた。
坂祝駅の入換えは、無線機を使って地上からだった。
だから、走っている機関車から飛び降りたり、飛び乗ったりはなかった。