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青空(せいくう)のブログ

日々の想いや過去の体験など幅広に書いていきます。

息子が9歳の誕生日です

「ボク大きくなったぞ」的な事を言う息子、「おお、凄い、でもパパは53年生きてるゾ」という謎のアドバンテージを取る青空です

 

 

50代と言えばワタクシの父方の祖父は、確か51歳で亡くなってまして、母でさえ会った事がないという人です

 

何でも祖父の代では海産物を扱う事業をやっており、市議会議員を2期務めたのだとか…ところが白血病を発症、亡くなってからは事業も立ち行かず倒産、家族離散、大きな家も家財も全て失った・・・

父は「イイとこの子」だったのが、いっぺんに「没落」会社の寮へ移ったとの事でした

青空、小さい頃に父の生家近くへ行くと、そこのお年寄りが「ああ、○○さ(屋号)の孫なの」とか言われて何の事だか判らなかったんですが、祖父の事業を覚えている方達だったんですね

 

 

一方、母方の祖父は私が成人してからも存命でしたから、色々思い出がありますが、右手が不自由でした。というのも「一回取れたのを再接続したから」

 

戦時中、祖父は樺太(現ロシア領サハリン)に住み、それなりに財を成していたらしいのですが、終戦直前旧ソ連(現ロシア)が日露不可侵条約を一方的に破棄、日本領土へ侵攻を始めたため、止むを得ず一家で命からがら日本(内地)へ引き揚げ

 

帰ってきたは良いが財産はソ連に取られ「着の身着のまま」何もなし。山間にバラックのような家を作って想像を絶する貧しい暮らしをしていた。戦後の混乱期で「引揚げ者」には現場の日雇い労働のような仕事しかなく日々作業の仕事・・・

そんなある日、ベルトコンベアで作業中に右手を挟まれてしまったそうです。機械を止めるまで祖父の手は持たず手首から切断・・・鋭利な刃物で切れた訳ではないから、さぞ痛く苦しかったことでしょう、しかし祖父は気丈にも止まった機械から、自らの手首を取り出し止血しながら、助けを呼んだ

 

余りの惨状に駆け付けた同僚の方が「ヘナヘナと崩れ折れた」らしいです。普段から荒くれ者ぞろいの現場の男があまりにもケガの様子が酷くてショックを受けたらしいです

 

で、ここからも凄いのですが、砂利等にまみれた自分の切れた手首を「新聞紙」に包み!病院へ直行。対応に出た看護師さんに訳を話し、その手首を渡した・・・今度は看護師さんが倒れた

 

祖父は診察した医師に「とにかく、ちぎれた手をくっつけてくれ」と頼んだらしいのですが、医師は鋭利に切ったのではない切断面と砂利等で汚れた手をみて「無理だ」と言ったそうです。が、祖父は「お前も医者の端くれなら最初からダメだと言わずにやってみろ!」と一喝したとのこと。

 

医師はそれを受けて「よし!じゃあやってやるわい!」と半ば喧嘩腰で治療(再接続)を開始、何とか腱なども縫合をやってのけたそうです。その後の事は余り聞いていないのですが、結果化膿して腐る事もなく、祖父の手は手首に段差が付いたものの指を失う事もなくつながり、不自由ながら指も動き、フォークで食事をするまでになった

 

青空が覚えている姿は手が不自由ながらも色々な事をやり、教えてくれた穏やかな祖父。でも時々怒るととんでもなくコワかった。くぐって来た修羅場が違うヒトの迫力でしょうか

 

 

偶然とは面白いもので、引き揚げてきたばかりで仕事の無かった母方祖母は、父方祖父の店の海産物を「行商」する仕事をさせてもらったそうです。しかし、素人の行商、商品を全て騙し取られお金をもらう事も出来ず…失意の祖母が事の次第を報告して謝ったところ父方祖父は「今回の代金は良いから、もう一度商品を持って行っておいで。売れるようになったら返済してくれたらいいから」と言ってくれたそう。まさか、やがて自らの息子と娘が夫婦になるとは思っていなかったでしょう

 

 

聞くほどに昔の生活の大変さや、人の縁の不思議について考えさせられます。父方の祖父には会ってみたかった…

 

 

 

今回もアクセスいただいた方とのご縁に感謝

ありがとうございます。

 

読んでくださった方に良きことがありますように(^_^)/