戦争にいった父親からその体験を毎日のように聞かされていました。殆どは戦争の悲惨さ、軍隊生活での厳しさ、今の人達の甘さ、その頃は昭和のグループサウンズ全盛時あたりで、父親がよく言ってたのは「彼らは軍隊の厳しさを知らないから長髪にしてチャラチャラしてるんだあ!」みたいな感じで当時としては「またか」などと思い耳にタコ状態でした。子供でしたし、その頃はプラモデルなどで戦車や戦闘機遊びなどが流行ってたし、また当時は西部劇や戦争ドラマも流行ってた背景もあり戦うことがかっこいいみたいなイメージでしたからね。そういうのもけしからんと、「人が殺しあうのを遊びにするのは何ごとかぁ!」とかよく言われたものでした。父親が亡くなり何十年かしてその気持ちがよくわかるようになりました。殺し殺されるということがどれ程恐ろしく、また悲惨であるか、このへんは自分に置き換えれば実感できますね。自分が、愛する人がそういう目にあったとしたらどう思うか。腕足などをふきとばされたり、どれだけ苦しいかを考えれば決してかっこいいものではありません。特に手塚治虫先生の自分の体験を通じての反戦漫画では衝撃を受けました。憲法9条ですが、日本がそういった戦争の歴史を経て二度と戦争はしないという誓いのようなものでしょうから貴重で変えるべきではないとは考えます。ただ軍拡も含め、憲法改正についても、今の世界情勢からの指摘を受けるとぐらつきます。現実を見ろ!と、世の中には9条こそ危険な考えだと主張する人もいるのです。まあそう言われれば9条は今の世界情勢から見てもそぐわないのかも知れません。それはある程度はわかるのですが、だからと言って誰かが憲法9条を世界遺産になどと言ってたような価値はあるでしょう。