もうね、この年齢にして達観し(てるつもり)、あげく、最近の自分は、お坊さんみたいだなって思います
「欲」がある人は、生き物らしく輝いているなぁ、今の私にはそれが無い、お坊さんすぎます
「足るを知る」って言葉がありますよね、その言葉がここ数年でピッタリすぎて、「今あるものに感謝して、充分に私はしあわせを感じられている…ひと、もの、ことの、おお全てよ🙌、全てにありがとう」と。
ただね、
ここからはそれへの否定文を書きます。それって、私のしあわせのハードルが低いのか、それともしあわせのコップが小さいのかわからないけど言い換えると、「飽和状態」とも言えます。言語化が難しいのですが、
例えばもう、何を食べたいとか誰に会いたいとか何が欲しいとか欲が無く、凪すぎる…
今朝のわたしは「これではいけない!生き物、中でも人間は、生き物だから、そして人間だからこそ、飽和状態であったとしても、本来持っている、美しくても、醜くても、“欲”があるはずで、それらの“欲”が実は人間の人間らしさの一部を形成するもの、土台なのかも?!」という思考にたどりつき、
よぉーし、だったら今日は午後から…またしても「しゃぶ葉Day」、しゃぶ葉というリングに上がり、まずは「食欲」と言う欲望をむき出しに戦ってこようではないか!!と。
その前に、どれだけ宅建の勉強内容が私の頭に入ってるかも試したいのもあるし、「正直不動産」を観まーす(夫も驚く、意外とガリ勉な私)
…ああ、だからかー、輝いてたんだよなぁ。おととい娘が遊びにきましたが、彼女は仕事も男(←言い方)も遊びも便利家電ひとつとっても、みんな欲しいモノは片っ端から手に入れている(もちろん感謝と還元も同時進行)、欲しいモノを自覚し、しっかり手を伸ばすことを30年変わらずしている。
あの時の私は(彼女が私の実子とかはさておき)、宝石を見るような瞳をしていたと思います![]()
欲が人を生かす、活かすのかもしれないって思いました。


