(7月28日付 編集手帳より)


 渡辺幸一さんという人の歌が紹介されている。この人、ロンドンの金融界に精通している人らしい。


〈主語を省かず意志鮮明に伝へきて深く疲れき英語の国に〉
-第2歌集『日の丸』より


 たしかに、英語では主語を省くことが少ないようだ。主語を省いて名詞だけで会話をすると、かなり稚拙に聞こえるらしい。小さい子供が走る車を見て、指を指しながら「くるま、くるま!」と言っているような感じか。

 興奮して、「それだ!」と言うときであっても、英語ではThat's it!であり、その主語は「That」である。「遅刻してすみません」に至っては、I'm sorry, I'm late. であり、主語「I」が2回も登場している。まあ、他にも言い方はあるだろうけれど。


 楽天やユニクロなどでは、社内公用語を英語にしているという。日本人同士の会議なのに、会議の資料は英語、議事録も英語らしい。もし私がその会社にいたら、それはもう仕事に時間が掛かって仕方がないことだろう。でも、反面、仕事をしながら英語の勉強ができるということでもあり、多少羨ましくも思う。


 今の仕事でも、業務の2割ぐらいは英語と向き合っている。しかし、いかんせん、英語は苦手で、日本語を読むスピードの1/3以下になる。まして、レターを書くなんて、とてもできず、日本語で書いた文章を隣の女性に翻訳してもらっている状態である。恥ずかしながら。

 これからの時代、仕事をしていく上で英語ができることは強みではない。むしろ、英語ができないことが弱みなのだ。それは、英語がもはや「整理整頓」と同等の社会的価値を占めることを示唆するものだと考える。整理整頓が得意であることは、ビジネスにおいて特段の強みとは認められない。しかし、整理整頓が苦手であることは、その人の弱みであることには違いないのだ。


 英文学者の柳瀬尚紀さんは、「英語は『効用語』であり、『高揚語』である」と言ったそうである。公用語たる英語は、世界市場を相手にするうえで実利ある「効用語」であり、世界企業を目指すうえで社内の士気を高める「高揚語」でもあると、著者は指摘する。

 しかし、その視点は、やはり英語のできる経営者の視点であり、英語の苦手な従業員には、全くそのような感覚になり得ないことだろう。彼らにすれば、英語は、気分を滅入らせる作用を有する言語であり、とても「高揚」を感じさせる作用は見出せない。


 英語を公用語にするということは、英語圏の人間に特典を与えることに他ならない。世界共通の第2言語としてエスペラント語が存在するが、知名度を有しているとは言えない。使用者が少ない言語を敢えて勉強しようという気にはならないのは当然である。その結果、非英語圏の人間が英語を勉強させられる宿命にあることになる。


 正直、英語は嫌いだが、生きていく上では避けて通ることができないようだ。私が上の歌を作ったら、こんな感じになるだろう。

主語を省かず けれどその意志不明にて 深く疲れき英語の文に