純粋惰性批判

純粋惰性批判

ロマンチストの賞味期限は、短い。※フィクション内包型 ※カント未読

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まさかここに帰ってくるなんて
微塵も思っていなかった
今読み返すかつて
私が書いた文章
人間は変わるということと
変わらないということ
両方の証明のような
困惑と安堵がした
確実なのは
あの頃と今とでは
置かれている環境が全く違うということ
あの時期私はあまりに
不安定で、孤独で、死ぬほど迷い、何かに怒り、飢えていた
今は
安定し、死ぬほど孤独を恐れ、何かを諦めている
それはなぜならば
所有してしまったから

またここまで
えぐいものを捨てに来ることで
あの人の前での私が
少しでも素敵でいられるように

名前はなんとなく聞き覚えがあるけど
顔は全然思い出せない
一年生の時のクラスメイトが
死んだんだよと
教えられて
鬱だったからと
注釈されて
私はたぶん
正しい反応をした
そして考える
仮に私が死んでいたら
私のことなど大して記憶にない誰かが
回り回ってきた噂話を聞いて
同じような
正しい反応をするのだろう

死ぬほど生きたい
って
結局そういうこと
でしょ
自殺は

生に執着がなければ
わざわざ死んだりもしない
自殺は生の最大限の肯定であると

孤独な哲学者が言いました

あるチュニジアの青年は
自らに火を放ち
あるギリシャの老人は
広場で頭をぶち抜いた

なんという生

生まれる方法に比べて
死ぬ方法が格段に多いこと

お母さん

越権?

裁量の範囲

道徳の彼岸

憲法13条

絶望が希望に生まれ変わるところ

生産





ヨーグルトの中に落とした
苺の群れ
スプーンの腹で
ぐじゅぐじゅに潰して
染み出る赤い汁
白と赤のマーブル
粘度をまとった赤い肉片
破壊はめっぽう美しい


人間の根っこにはきっと
壊したい欲望があって
しかし誰でもそれをする勇気はなく
私たちは既存を守りがち
だから時たま現れる破壊者を
あがめて盲従してしまう
愚かな人間のなきところ
カリスマもない


不思議なのよ
どうしてアホみたいに大量の核を持っている国が
他の国に持つなと言えるのか
どうして飢えているのに
子供を増やすのか
どうして権利の上に眠りながら
義務にばかり敏感なのか
今、外から聞こえてくるシュプレヒコール
これはきっと報道されることもないでしょう


民主主義というものが
果たして正義なのだろうか
憲法と聖書の違いは
一体なんだろうか
この合理性と明確性ばかり求められる社会の中で
彼らの言う「人権」というものが
光り輝くほど
曖昧無根拠不合理であることに気付いたのです
どこにあるの?
どうしてあるの?


いくら権利があったって
意味を与えてはくれない
それは彼らの裁量ではないのだ
自分自身もしくは
孤高の誰かが
生に意味をもたらす
はず


きっと春は美しいけれども
私は紫外線にやられて
頭の左側が痛むから
冬の厳しさの中で感じた
ほのかなあたたかさを懐かしんだ

シャンプーを変えた
頭は変えられない