結論から言うと、うちの場合は、父、80代後半で、認知症でも、禁煙出来ました。
むしろ、80代後半だったから出来たのかもしれません。
父、若いころから、ヘビースモーカーでした。
セブンスターや、マイルドセブンがお気に入り。
1ミリだと、煙草を吸いながら煙草を吸いたくなる、と笑っていました。
そんな父に大きな転機が。
人工透析の開始です。
人工透析の場合、禁煙が必要です。
父は、透析導入時、既に80歳代後半。
自立歩行、自分でトイレ、お風呂等も出来ていましたが、認知症もある程度、年相応にありました。
この時は、要介護2くらい。
シャントを作るために入院した際などは、抜け出して煙草を吸いに行ったり、よく怒られていました。
煙草を買っては、看護師さんに見つかり、取り上げられていたようです。
入院中に病室にあるはずのない煙草を探している姿をみて、母は哀れに思い、また看護師さんたちにもさぞ馬鹿にされてるだろうと思い、とても悲しくなったそうです。
(いや、看護師さんたちは、医療のプロだから、認知症の症状を百も承知でしょうと私は内心思ったのでした)
透析開始後、自宅で悪夢のような禁煙が始まりました。
本人は煙草を吸いたい。
家族が説得して押しとどめる。
認知症なので、一日中繰り返しです。
煙草を吸いたいと言われたら、まず下記を試しました。
糖尿病もありますが、煙草を吸われるよりはマシ、ということでカロリーがあっても黙認しました。
辛いのは、煙草のかわりに、お茶を飲むこともあまり出来ない、というところもあります。
透析で水分制限があるためです。
・禁煙パイポ、入れ歯につかないガムなどの準備。
・飴の準備。
・お茶菓子。
・お茶やコーヒー
次に、壁にたくさん、「禁煙中」の類の張り紙を、本人の直筆や、家族の応援コメント入りで貼ってみました。
でも、煙草が吸いたくてキーッとなっている時は、目に入りません。
眼も悪いですし…。
加えて、食卓におけるくらいの大きさのホワイトボードを買って、毎日、父に記入してもらってみました。「○○年○月○日。現在○日間継続中。今日も禁煙頑張ります。氏名」
毎日、父にホワイトボードに自分で書いてもらい、反復することにしました。
記憶の刷り込みです。
ホワイトボードは、食卓の父の席に置き、常に目に入るようにしました。
短期記憶の定着は悪いですが、毎日繰り返していれば、少しずつ記憶に刻まれていきます。
時に忘れても、思い出しやすくなります。
それでも、弱い足で、コンビニに自分で煙草を買いに行き、吸ってしまって具合が悪くなることもありました。
もう、煙草を吸える体力はないのに、気持ちが吸いたいんです。
母は、いつもブチ切れていました。
でも良いんです。
失敗しても。
その都度、取り上げれば。
たどりついた会話のルーティーン
次第に、煙草を吸いたい、というやり取りの回数が減ってきました。
でも、たまに、狂ったように言い出すことがありました。
本人曰く、「ときどき無性に煙草を吸いくなる波がある」とのことでした。
それを利用した会話のルーティーンが何となく出来てきました。
父「煙草ないの?」
私「ないよ」
父「1000円ちょうだい」
私「何に使うの?」
父「煙草買ってくる」
私「お父さんは禁煙してるんだよ」
父「禁煙なんかしてない(怒)」
私「お医者さんに禁煙って言われて、お父さん、禁煙するって言ってたよ」
父「言ってない。もし言ってたとしてももう禁煙やめる。それにしばらく吸ってないから、一本くらい吸ってもいいんだ」
私「(認知症だから一本吸っても吸ったことを忘れてまた吸うから一本っていう概念が無理なんだけど)透析している人は、煙草を吸うと、血栓ができてすぐ死んじゃうってお医者さんが言ってたよ」
母「もう病気で手の施しようが無くなったら、好きなだけ吸ってもいいよ。でもお医者さんにそう言われたら終わりだよ」
父「え、そうなの」
私「そうだよ。たまに吸いたくなるって言ってたけど、だから○年ずっと禁煙してるんだよ、お父さんすごいね。」
私「喫煙の禁断症状は、病気なんだよ。今は病院で、医療保険で認められた禁煙外来があるくらいなんだよ。病院で保険で治療するんだよ。だから吸いたくなる時があっても、当然なんだよ」
父「そうなの。たまにすごく吸いたくなるの。でも我慢する」
という一連の流れです。
本人も、うすうす禁煙していると、煙草を吸ってはいけないとわかっています。
本人が、「我慢する」と言いやすい会話の流れに、何とか乗せられれば成功です。
頭ごなしに「ダメっ」と言うと、何が何でも「ヤダっ」となります。
あれもダメ、これもダメ、の制約の多い透析の生活&認知症で、わがままを言いたくなる気持ちも分かります。
でも家族は大変でした。
そのうち、煙草を吸いたいと言う頻度が減り、殆ど言わなくなりました。
禁煙出来たのは本当に幸運でした。