主エル・カンターレ

大川隆法総裁先生のご著書

『大悟の法』第1章〜

 

大悟の法

 

第1章では

お釈迦さま時代に実在したアングリマーラが

なぜ?殺人鬼になったか?

 

その後、仏陀に帰依して何が起こったか?

 

その過程を通して、魂にとって大切なことが説かれています。

 

それを書くと長くなるので詳しくは、上記『大悟の法』を熟読して下さい。

ここではポイントをまとめていきたいと思います。

 

 悟りには過去の罪を清める力がある

 

過去に罪を犯した悪人でも、仏縁に触れて回心し、悟りを得て光となった場合は、生まれてからこの方、全く罪を犯していないのと同じことになるのです。

 

 悟りを得る方法:信解脱=信仰による解脱

 

仏・法・僧に帰依することによって過去の心の縛りが解けて、自由自在になるというもの

 

 心解脱:5欲はじめ、欲望に振り回されることから自由になる

 

 

人間の5つの欲

 

①財欲

②色欲

③食欲

④名聞欲

⑤睡眠欲

 

 慧解脱:智慧によって迷いを断ち切る

 

因果の理法を知る

この世的なことは、一定の知恵を持つことによって危機を回避することもできる

 

 まとめ

 

全ては心より生じ、幸福も不幸も心より生まれてきます。

「心に支配されることなく、心を支配せよ。心を主人とすることなく、心の主となるべし」これが大事。

敵は自分の内にあり

主エル・カンターレ

大川隆法総裁先生のご著書

『奇跡の法』2021年2月7日発刊

奇跡の法

 

第4章:未来への想像

より抜粋です。

 

 

 21世紀以降のビジョン

想像する未来とは繁栄の未来

想像する未来とは繁栄の未来。

繁栄し成功した個人の姿、社会の姿、国家や世界の姿です。

 

 真の教育とは何か

国家百年の計と教育理念

現在の子供達に対する

教育の内容によって、少なくとも

ワン・ジェネレーションの未来が規定されます。

 

日本特湯の精神風土

日本特有の問題として、

制度やシステムに責任を転嫁

しようとする傾向が強い。

 

日本には個人責任の意識の

極めて薄い文化風土、精神風土がある。

 

何事も、個人の熱意が原点

であることを忘れてはいけない。

 

個人の熱意や努力に光を当てる

未来に向かって大胆に提言し、

行動する個人が出てくる必要がある。

 

個人の熱意や努力、

創意工夫こそが大事である。

 

学問の有用性

個人として

学ぶことが大事なのであり、

その意味で、学びには本来限りがありません。

 

志を立て、努力して成功する

タイプの人間を高く評価する

社会になることが大事です。

 

優しすぎる体制は、国家の衰退を招く

競争をなくせば、

そのゆとりは実際はゆっくりと

地獄へ続いている道なのです。

 

天国への道は、

荊を切り開いていく道であり、

困難な道なのです。

 

ゆとり教育のツケは、まず有用な人がいなくなる

 →価値を生み出せない

 →国府が減り貧しくなる

 →生活レベルが下がる

 →他国との競争に負けて貧困国になる

 →他国の援助を受けなければいけなくなる

 →奴隷的国家になり卑屈な国民になっていく

 

パイの取り合い型思考の誤り

学校教育を受けた人は

「お返しをしなければいけない」

という気持ちを持つことが大切です。

 

優れた学校に進んだ人は、

それだけの義務を負っている。

 

パイは何枚でも作れるのだと考える。

 

幸福への道は無限にある

幸福への道は

1つの扉が閉じれば、

別の扉が開くようになっている。

 

「自分の幸福が全ての人々の

 幸福につながるように」

「自分の成功によって

 多くの人々にパイを共有できるように」

 

という願いを持って、

子供は教育を受けるべきであり

成績を評価されるべきなのです。

 

 霊界と悟り
 

教育の本質は真理の探究

真理とは「本当に正しいこと」であり、

本当の正しさとは何であるかを

探究することが教育なのです。

 

その正しさの中には、

世界の仕組みや法則もあり、

また人間が生きる道での正しさもあります。

 

そして自然界の法則の奥にあるものも、

人間会の法則の奥にあるものも、

実は仏の心であり、神の心であるのです。

 

したがって真理の核の部分には、

本当は宗教的思想や哲学があるのですが、

今の日本の教育は、

その核の部分にまで到達していません。

 

今、公教育において、

いじめや非行が増え、

教育の場が犯罪の現場と

非常に近いものになっています。

 

ここでもう一度根本に立ち返り、

教育思想そのものに誤りがないか

どうかを考えてみる必要があるのです。

 

霊界とこの世の関係

あの世はガラス張りの世界であり、

何1つ隠すことはできない。

なら自分はどうなるか考えて生きよ。

 

教育の基礎に真実の霊界観を

あの世を「実在界」と言いますが、

「実在界」から見ればこの世は修行場であり、

地上の人間は泥の池の中で共に修行しているのです。

 

そうした原点を持っていないと

価値観が逆転してしまいます。

 

この世しかないと思えば、

泥の中での生き方だけが全て

になってしまいます。

 

日本的宗教観の問題点

日本では伝統的に

山岳信仰や、川への信仰など

自然崇拝があり

 

また、稲荷信仰や猿神信仰

犬神信仰などの動物信仰があります。

 

西洋における宗教には

明確な価値観があり、

人間に似た姿を持った人格神が

教えを説いているイメージがあります、

 

西洋の神は人格神であるがゆえに、

言葉があり、考え方があり、教えがあるのです。

 

アミニズムとは

「自然そのものが神である」

という考え方です。

 

アミニズムは要するに

原始帰りを進める思想なのです。

 

アミニズムは

永遠に同じ世界を転生輪廻する

「永劫回帰」の世界になってしまいます。

 

真の教育を行うためには、

 

そのバックボーンとして

冷静な目で霊界を探究する

姿勢を持つと同時に、

 

アミニズムの世界と決別し

より高次な宗教感を求める心

を持たなければいけません。

 

 

 信仰と成功

 

信仰は努力の放棄ではない

努力の果てに、

努力では掴めない世界、

努力を超えた世界を悟ることが大事

 

高等宗教を、実学のバックボーンに

自助努力の精神は

非常に奨励されるべきことです。

 

ただ、自助努力だけで押していくと

「神も仏もあるものか」という

世界観に通じていく道もあるので注意が必要です。

 

自助努力の中に大いなる他力が臨む

人間が自助努力をしている時、

同時にそれを超えた大いなる他力も

また救いの手を差し伸べているのです。

 

大きな慈悲がいつも

臨んでいることを忘れずに、

 

その慈悲と手を結ぶような

自助努力をしていくことが大切です。

 

そのような世界観を持つべきだと思います。

 

天は、自助努力の精神、

セルフ・ヘルプの精神を

持っている人をこそ、手助けしたいのです。

 

これは経営者の場合でも同じです。

 

 未来の創り方

 

新文明は新しい宗教から生まれる

幸福の科学の神の目的は何か?

「今後3000年の人間史をリードしていけるだけの思想を作る必要がある」

と私は考えています。

 

この世に正しい価値観を

現代社会は、ある意味において

逆ピラミッドになっています。

 

一番価値のあるものが下になり、

本来は裾野にあたる部分、

霊界構造で言えば四次元の底辺

に当たる地獄階層の部分が、

結構上の方に位置しています。

 

この逆さピラミッドを

ひっくり返し、霊界の構造と

同じような正規のものに

戻さなければなりません。

 

悟りたるもの、優れたるもの、

真理に近いものが正しい意見を述べ、

それによって多くの人々が

導かれるような世界を創る必要があります。

 

その際に大切なことは、

その運動が専制政治的なもの

と見做されないように気をつけることです。

 

愛の心、慈悲の心を根本に持ち、

知恵と勇気を持って

文明を変革していく指導者が

出なければいけないのです。

 

自由と寛容を

そのままに生かしながら、

愛に溢れた未来社会を

創りたいと私は考えています。

 

ーー

抜粋後記

発刊当時は何となくわかったつもりでいたけど、主の一言一言の言葉に隠れる、たぎるような主の情熱を何1つわかっていなかったんだと改めて思った。

本当にごめんなさい。

主よ、これから生まれ変わって精進します。

 

主エル・カンターレ

大川隆法総裁先生のご著書

『奇跡の法』2001年2月7日刊

奇跡の法

 

今回は第3章:宗教の新しい風

から抜粋します。

 

 

 少子化、高齢化を考える

新しい家族観が必要な時代

今後さらに高齢人口が増えて、

若い人口で経済的にも支えられなくなった時、

 

最初は国や地方公共団体等に

「どうにかしてほしい」と言う話になるでしょうが、

次の段階はやはり家族の問題に戻って来るだろうと思われる。

 

家族の絆が深くなっていくだろう。

場当たり的な教育ではなく、

20年、30年かけた、家族の人生計画

のようなものが必要になってきます。

 

21世紀の宗教観としては

「家族の価値、あるいは家族の絆をどう考えたらいいか」

と言う教えも必要になってくる。

 

要するに家族の間の責任の問題です。

 

西洋化した文明の2つの選択

政治的には人口減少に

できるだけ歯止めをかけるべきですが、

 

その一方で先行き、

人口が8000万人位にまで

減ったとしても住みよい国を

作れるような発想も必要。

 

文明が西洋化したら必ず人口が減る

 

今後日本が少子化の中で

人口を増やしていくために、

 

1つには、アメリカ型の

「収入の少ない国、発展途上国からの移民を受け入れ、労働力を増やすことによって子供を産めるような社会にする」

 

もう1つは、8000万人位にまで

人口が減っても同質性を失わない

ような社会を作っていく。

 

未来においては

どちらかを選ばなければいけない。

 

人口が急増する国家の危険性

人口が急増する国家は、

人の値打ちが非常に薄くなるので

ある意味で要注意!

 

国家は覇権主義を求めるようになる。

 

国の指導者にとっては戦争が怖くない。

 

 

 宗教と政治

「仏法は王法を超える」の真意

宗教は、

仏の意志、あるいは神の意志という、

超越したものからの、

 

国民あるいは人類に対する

メッセージを元にしています。

 

その中には、

政治の原理と重なる部分があり、

それを完全に分離することは

おそらく不可能だろうと思います。

 

宗教と政治の違い

新たな宗教真理というものは、

その時代の大多数の人は

受け入れないようなかなり斬新なものです。

 

思想ので出方が少し早いのです。

その宗教が、メジャーになるかどうかは

時間が経ってみないとわからない。

 

政治というものは、

基本的に数がないと実現しないので、

妥協の産物になる。

 

宗教は権力ではなく権威を求める姿勢を

宗教はあまり反政治的でもいけないし、

あまり親政治的でもいけない。

 

宗教は権威を求めても

権力は求めない姿勢を持っていた方がいい。

 

影響力、発言力は必要だが

距離の取り方が大事。

 

 宗教と経済、宗教と科学技術

経済原理の変化に対する寛容性

宗教が現代社会で一定の力を持つためには、

経済原理そのものを否定することはできない。

 

ある程度、包容力、寛容性のある

宗教思想を展開しなければいけない。

 

ただ、これもあまり

連動しすぎてはいけない。

 

科学技術の許容と譲れない一線

宗教は、科学や技術の進歩、発展を

阻害するようであってはいけない。

 

一方「神秘的なるものはない」と考えて、

霊的なものを恥ずかしく思うようになったらば、

これは負けなのです。

 

現にあの世はあるし、

人間は霊的存在として転生輪廻しており、

魂が肉体に宿って存在しています。

 

これは譲れない一線です。

 

 宗教界に新しい風を

宗教は、

「政治・経済・科学技術の進歩に対しては、開いた体系を持ちながらも、完全に迎合したり同一化したりはしない」

という思想を持つことが大切です。

 

 

主エル・カンターレ

大川隆法総裁先生ご著書

『瞑想の極意』第4章

 

瞑想の極意

 

 

1、直伝の瞑想法

 

 

人間としての修行の中で一番たいせつことは、どのようなもののなかにも、幸せの種(神の光の破片)を見出していくことである。

 

 

2、感じない能力も必要

 

 

多くのことを知っている、いろいろな価値観を知っていることが出発点。

『全て知るは全て許すなり』

まず自らの心を正すことを出発点にしてほしい。

瞑想の出発点は、心の波風をどうやって立てないようにするか。

 

 

3、人との接触を避け、波風を立てない

 

 

・心の切り替えの訓練をする

・不安感の虜になってしまわない

・成功体験に自信を持つ

・神の子としての実相を掴む

 

 

4、瞑想の想とは

 

 

・漠然としているけれども、井亭の方向性と一定の範囲を持った考え方、目的を持った考え方。

・想いにはストーリー性がある(年ほど固まってはいない)

瞑想とはこの世的なるものを遮断して自分のk女ころの可能性を探ること。

 

 

 

5、1つの中に全てを発見する

 

 

 

1つの価値の中に神の作られた世界を見抜いていく。

 

 

6、許しと寛容の原理

 

 

不調和な現象は、その人の全てを理解し切っていない自分がいるから。

人間の見方は一律ではない。

全てを知ることが赦しの原理につながっていく。

 

 

7、神の理想のための自己実現

 

 

出発点と向かうべき先を間違ってはいけない

神の理想に近づいていくための自分のあり方を考えていく自己実現でなくてはならない

 

 

8、極微と極大の観点

 

 

神の箱庭の中にいて自分はある役割を与えられているだけの存在。

卑小な自分だと思った時は、神の子としての偉大性を考えなければいけない。

自分が成功し、偉くなり、他の人々を自由にできると思った時は大宇宙の一員としての自分の小ささを知らなければいけない。

 

 

主エル・カンターレ

大川隆法総裁先生のご著書

『奇跡の法』(2001年2月7日発刊)

 

奇跡の法

 

今回は、第2章:繁栄への道

から抜粋させていただきます。

今は2024年なので約24年前に書かれています。

 

24年経って拝読すると

主がいかに先を読み法を説いてくださっていたか

ジーンと心に染みるものがあります。

 

 

 日本人の深層心理にあるもの

アメリカを超えることの恐れ

日本人には、50年前の

敗戦の記憶もまだ生々しく残っています。

 

バブル崩壊に関して多くの日本人は、

深層心理では繁栄を恐れていたのではないか?

 

時間稼ぎとして不況でもやっていないと仕方がない

 

戦争に関する深い罪悪感

 

日本は極悪非道のことをしたのではないか?

私たちの先祖は皆犯罪人だったのではないか?

と言う思いが戦後の日本には連綿と続いていて、

この部分を解決しなければ

日本は21世紀へ抜ける道が

立たないのではないかと思います。

 

世界史はいつも買った方が書き残してきました。

それが正しいかどうかはわかりません。

 

ただ、勝者であっても、いづれ没落することが多く、

次の時代が始まると、歴史の書き直しが可能になります。

 

明治以降の日本の歩み

日清戦争と台湾の植民地化

日清戦争に勝った日本は、

清国から割譲された台湾を植民地化しましたが、

このあたりに、のちの悲劇の種があったと思います。

 

歴史の大きな流れから見ると

「日米の覇権戦争だった」と言うのは

公平な味方ではないかと思います。

 

日露戦争は世界史のターニングポイント

日露戦争は、欧米列強による植民地化の流れにおいて、

大きなターニングポイントになる歴史的事件だった。

 

日本が日露戦争に勝ったため、

朝鮮半島はロシアの植民地とはならず、

日本の支配下に置かれることになった。

 

日本が朝鮮半島を支配した結果、

第二次世界大戦後、朝鮮半島が半分だけでも

資本主義化したことは結果論でありますが、

少しは痛みを軽減した面もある。

 

反日感情の背景にあるもの

朝鮮の人たちが反発した1番の原因は、

日本の国家神道にあったと思います。

日本は植民地支配の道具として国家神道を使いました。

 

戦後、彼らの国は独立したけれども、

その独立は自力で日本に勝ってなされたものではないと言うことです。

 

「あれほど悪魔のようなことをしてきた日本なのに、

戦後繁栄した。悪いことをした国が没落するなら良いが、

逆に繁栄したのは許せない」と言うことなのです。

 

中国と韓国の人々の間には、日本に対して

非常にスッキリしない感情が二重に存在している。

 

先の戦争をどう観るか

先の戦争のうち、中国関連のものについては、

侵略的な面があったと認めざるを得ないのではないか

と私は思います。

 

太平洋関連の戦争については

日米の覇権戦争だったことは間違いありません。

 

第二次世界大戦の霊的側面

日本の神々の戦争責任

霊的な目で見る限り、

日本神道の神々の7、8割ぐらいは、

先の戦争に賛成しています。

 

地上の軍人の独創ではなかったのです。

 

日本神道の神々にも、

当然、先の戦争に関する責任がある。

 

敗戦で、日本人の心には

非常に深い傷が残りました。

これが「無宗教です」と言う日本人が多い理由です。

 

この無宗教と戦わなければいけません。

これは、日本の国家神道が背負っている負の遺産なのです。

 

日本の敗戦がもたらしたもの

マクロの目で見ると、

「戦後、アジアやアフリカから植民地がほとんどなくなった」

 

これは、日本の民族神より、

もう一段上の賢い神がやらせたことです。

 

「白人による植民地支配の歴史を終わらせる」

ことが天上界の大きなところでの総意だったのです。

 

軍事的、宗教的に観た日本の敗因

日本とドイツの軍事思想の欠陥:

補給が続かないものは戦いに勝てない。

 

長い目で観ると人生は確率戦になっている。

 

たまたま勝った、、

こう言う勝ち方をした時は用心しなければいけません。

勝った時のことが忘れられず、やがて失敗することがあるのです。

 

教えのない宗教は世界宗教にはなれない

国家神道には儀式しかなく、

教祖もわからなければ、競技、教えもありません。

いわば柱と屋根だけで中身がないのです。

教えのない宗教は世界史的にはメジャーになれないのです。

 

日本の社会には、

「実質が判定できない。中身の判定ができない。価値観、倫理観がなく、善悪の判定ができない」と言う弱点があるのです。

 

民族神と地上界の関係

ユダヤの神は間違いなく民族神

ある国を収めている神の意識と、

その国民、民族のトータルの能力や意識とは非常に関係しており、

国民のレベルが上がると神の格も上がるのですが、

国が滅茶苦茶になると神の格も下がるのです。

 

この世とあの世は連動するので、

あの世でも相互交流が始まっていて

「神々の世界で、どう言う新たな価値秩序を作るべきか」

と言う大きな運動が起きています。

 

第二次世界大戦が遺した大きなツケ

東欧と中国の社会主義化

唯物論思想と暴力革命思想が大きなツケとして遺った。

 

マルクスの革命思想の中には、

「目的がよければ暴力を振るってもよい」

と言う暴力革命を肯定する思想が入っている

ことが大きな理由の1つです。

 

唯物論は、結局、人間機械論に行き着く。

 

共産圏では

「思想的に赤くない人は欠陥品」

と言う見方をして粛清が起きる理由になっている。

 

唯物論思想と暴力革命思想、、、

この2つが第二次世界大戦も大きなツケとして残りました。

 

世界が向かうべき方向とは

地球的価値観をつくる

私たちが向かうべき方向の1つは

「今度こそ、本当に、地球的規模での正しさの基準、仏法心理的基準を打ち立てる」と言うことです。

 

個人と全体の幸福を同時に実現する

人間は手段ではなく目的です。

各人は「幸福になる」という

目的を持っているのです。

 

個人の幸福は確立されなければいけない。

同時にそれは全体の幸福に

統合されていかなければならない。

 

国家レベルでは

自国も幸福になると同時に

他国も幸福になる道を開かなくてはならない。

 

自由主義的で民主主義的な政治

科学技術の発展とバランスを

とらなくてはいけないと同時に、

各人の幸福も確立されていなければならない。

 

多くの人が幸福になるためには

やはり一人ひとりが仏神に近づいていく

道を取らなければなりません。

 

倫理観、マクロ的な見方、未来への予測----

この3つを教えることによって

宗教としてマスコミを啓蒙することができるでしょう。

 

それによって民主主義が担保でき、

21世紀以降の発展への道が開けるのではないかと思います。