想念帯と霊的世界との交流 | 真田幸村(信繁)のブログ

想念帯と霊的世界との交流



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生まれたばかりの赤ん坊は


純真無垢な存在です



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そして


汚れのない心の持ち主でもあります


親の目には見えずとも


赤ん坊は


霊的世界との交流をしているのです


言い換えれば


あの世の諸霊(守護霊や指導霊)たちと


心が通じている状態であると言えます


各人の心のなかにおいて


すべての人が生まれながらにして


深い部分をすでに持ち合わせているのです


よく、表面意識とか潜在意識とか言われますが


深い部分とは


潜在意識に相当する部分のことを言うのです


その境目には


想念帯という領域があり


深層心理領域とつながっています


そのおかげで


霊の世界との交流が可能なのです


この想念帯(表面意識と潜在意識の境目)のところに


様々な記憶領域があります


デジタル風に翻訳すれば


HD(ハードディスク)領域に相当していると言えましょう


ただ違いとしては


HDには必然的に


容量の限界(記憶できる量)がありますが


この人間の想念帯には限界がありません


いうなれば


各人が意識的に認識や自覚ができずにいようとも


膨大な記憶が埋蔵されているのです


この想念帯には


生きていた時に思ったことや


行なったことの全てが


集積されています


仮に本人が忘れていたとしても


すべての念いと行動が


100%記録されているのです (一切の誤魔化しは通用しません)




生まれながらにして


天上界との交流をしていた赤ん坊が


なにゆえに


交流ができなくなってしまうのか


まず第一に


それが疑問として浮かぶのが当然です



想念帯とは


本来、無色透明で透き通ったものですが


成長過程で生ずる


我侭(わがまま)な心や様々な欲がでてくると


だんだんと、ひとつの曇りがでてくるのです




わかりやすく言うと


車のフロントガラスを想念帯だと仮定します



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新車の時(生まれた時)は


ガラス面が透明で透き通り


外界(天上界)が見える状態です


ところが


一切、手入れをせず


放置したままにしていれば


だんだんと汚れが付着し


ガラス面が徐々に曇ってきます


見えていた外界が


曇りによって、だんだんと


見えなくなってくるのです



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ガラス面の曇り(想念帯の曇り)が


やがて


外界(天上界との隔絶)との交流を妨げ


大抵の人は


ガラスの外にある世界を忘れ


この世的な存在となってしまうのです



あの世的存在と


この世的存在との違いは


この『自我我欲』の部分にあります


「私が」「私が」という気持ちや


「自分が」「自分が」という気持ちが


自我我欲なのです



この我欲に相当する部分を具体的に言うと


① 自分と他者との比較


② 異性への目覚めや性へのとらわれ


③ 社会との関わりにおける苦しみや葛藤


④ 入試などの挫折 (進路問題)


⑤ 傲(おご)りという感情 (自分は優秀であるという思い)


⑥ 結婚 (理想と現実とのギャップ)


⑦ 家庭問題や病気


⑧ お金の問題


以上、集約すれば


生きていく過程に生ずる様々な悩みというものが


我欲の形成要因となっているのです



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この我欲の発生が、想念帯に曇りを生じ


霊的世界との交流を妨げているのです


曇ったガラス(曇った想念帯)を


本来の状態(霊的世界との交流)に戻すには


ガラスクリーナーが必要です



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このガラスクリーナーに当たるものが


反省的瞑想と言われるものです




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