ムハンマド(マホメット) | 真田幸村(信繁)のブログ

ムハンマド(マホメット)

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クライシュ


預言者ムハンマド(マホメット)の11代前の祖



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クライシュを祖とする部族をクライシュ族という


クライシュ族は多くの氏族に分かれ


5世紀末、ムハンマドの5代前のクサイイ


一族を引き連れメッカに移住した


クサイイは、メッカのカーバ神殿の守護者の権利を勝ちとり


指導者として君臨した


カーバ神殿では偶像崇拝が行われており


女神3神である


アッラート(月)、ウッザー(強力・権力)、マナート(運命・死)の神が信仰されていた


クライシュ族はこの中のウッザーを氏神にして崇めた


またこのころ既にクライシュ族は上下関係ができており


メッカの中心部に住む家柄の良い「谷間のクライシュ」


山腹に住む「外側のクライシュ」とに区別されていた




ムハンマドが、ジブリール(ガブリエル)より啓示を受け



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まず身内のクライシュ族に布教を始めたとき


信者に成るものもいたが大多数のものは信仰しなかった


クライシュ族の多くは自分たちの既得権益を脅かし


多神教から一神教のイスラム教に改宗するよう説得するムハンマド


最初圧力をかけるだけだった


が、クライシュ族が提示した妥協案をムハンマドが蹴ったことで本格的な迫害が始まる


信徒を増やし力を蓄えたムハンマドは、624年3月クライシュ族の隊商を襲撃した


初めての戦いによる聖戦(ジハード=努力目標)である


クライシュ族はメッカから援軍を差し向け、両雄は紅海沿岸バドルの水場で戦った


数で劣るムハンマドだったが、天使が味方したと言われるほどの圧倒的勝利を収める


630年1月ムハンマドは、軍を率いてメッカを急襲


既にほとんど抵抗はなくメッカは陥落した


ムハンマドは、カーバ神殿にあった多くの偶像を全て破壊、メッカはついにムスリムの土地となった



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この後クライシュ族は、イスラム世界の指導者的存在として


その発展に大きく寄与することになる




預言者ムハンマドの後継者(カリフ)問題


ムハンマドの従兄弟(いとこ)であり、かつ娘婿であるアリー



アリーとその子孫のみが、指導者(イマーム)として後継者の権利を持つ主張した



シーア・アリー(後に略されて「シーア」)、すなわちシーア派となる


対して


アリーに先立つアブー=バクルウマルウスマーン の三人のカリフをも


正統カリフとして認めた大多数のムスリム(イスラム教徒)が


スンニ(スンナ)派の起源である



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ちなみに、サダム・フセインは、スンニ派




先般、米国海軍特殊部隊が行った軍事作戦によって死亡したと報道された


ウサマ・ビン・ラディン



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彼の父の名は、奇しくも


ムハンマド・ビン・ラディンという




そういえば最近、イスラム原理主義という言葉をよく耳にしますね


「イスラム原理主義」という言葉は


ムハンマドの時代のイスラム共同体(ウンマ)を


復興させようとする運動のことで、言葉自体に問題はありません


イスラム法に基づく社会の実現を目指しているため


近代的価値観や西洋的価値観の流入への抵抗運動としての側面はあります


問題なのは


現代社会の中で、イスラム的な理想の実現にとって


障害となっているものを暴力によって排除しようとする人々(若者)の存在です


そういった一部の者をイスラム過激派といいます



武力(暴力)を用いてでも聖戦(ジハード)により


真のイスラム国家の建設(ムハンマドの時代回帰)を目指さなければならないとする


クトゥブ主義がイスラム過激派の行動の原点となっているのです


そして


イスラム教の紛争の元になっているのは、コーランではなくてハディース



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ハディースは、ムハンマドの言行録をまとめたもの


軍事的な敵が最初からあり、戦ってできてきた宗教であるので


仕方がないところはあるのでしょう


単に平和だけ説いて、実行していた場合は滅びていたと思われます


メッカは多神教でしたが、多神教のなかで一神教を説く者(ムハンマド)が


出てきたということで、迫害を受けたのです


「自分らは、キリスト教の神とも同じだし、ユダヤ教(旧約の神)とも一緒だ」


ムハンマドは言っていましたが、多神教を信じるクライシュ族は認めなかったのです


一神教を説く者の意見が受け入れられる時代背景ではなかったのかもしれませんが


最終的に、ムハンマドは、武力行使という手段を使い、イスラム教を成立させました


祖であるムハンマドが、あまりにも多くの血を流しすぎたことは歴史的にも否定できません


現代のイスラム紛争(混乱の元)は


ムハンマドの悪因部分の悪果(カルマの刈り取り)なのかもしれないのです



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イエス様は、ムハンマド(マホメット)に何を語ろうとしているのだろう?


キリスト教とイスラム教を融合し、統括する世界宗教


それこそが幸福の科学の教に入っているのです



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