全部繋がってることが腑に落ちた話。




全部繋がった…。


 

今日、お皿を洗っていて気づきました。

 

 

 

私は、

自分のやっていることが

無価値に思えて悲しくなっていました。

無気力になっていました。

 

 

 

日常に感謝できない。

そんな自分を、自己卑下していました。

 

 

 

例えば、台所の洗い物をしていて

「これを洗ったからといって、

だれも私に声もかけてくれず、感謝されることもない。

じぶんがじぶんに感謝すればいいと、分かっているけど、虚しい」

 

 

 

そんな思いを抱えながら、

食器を洗い終わったらため息をつく。そんな毎日でした。

 

 

 

自分のやっていることに意味を見出せず、

見出したとしても、それが何かの役に立っているように感じられず、

 

 

 

虚しさが募るばかりでした。

それが無気力に繋がっていました。

 

 

 

 

 

 

 

だけど今日、

ある方と出会い、話を聞いてもらいました。

 

 

そして、

ある文章を読んで、体験談を読み、ふむふむ、と読了。

 

 

 

数時間後に、いつものようにお皿を洗いました。

 

 

 

すると、

 

 

おや?

 

 

いつもの虚しさや無価値感、悲しさが出てきませんでした。

 

 

 

 

今まで反対側の思考だったことに気づきました。

 

 

 

今目の前にいない人と比べて、

今目の前のお皿を洗っている自分を、卑下していたことに気づきました。

 

 

 

目の前のお皿洗いを軽んじていることに気づいてはいたけど、どうしたら出られるのかわからず、なんでこんな思考にぐるぐるハマっているのか分かりませんでした。

 

 

 

そこから抜け出せました。

 

 

自分はお皿を洗うと言う

社会貢献をしているんだ

 

 

 

お皿を洗わなかったらどうなる?

→旦那さんが帰宅してから洗う。

疲れて帰ってきた旦那さんが、さらにまた疲れる。

旦那さんが休む時間が短くなる。

 

 

 

旦那さんが休む時間が少なくなるとどうなる?

→旦那さんが、仕事で集中できる時間が少なくなる。

関わっている方の、仕事の進みが遅くなる。

 

 

仕事が遅くなったらどうなる?

→関わっている方々の仕事も遅くなる。

各方面に、必要な連絡が届かなくなり、どんどん遅れる。

 

 

等々。

 

もっと具体的に書いていけば、もっと

はっきりと影響が出ているのかわかるのですね。

自分がイメージできていないと、流れがつかみにくい。

 

 

イメージができると、

分かりやすい。

 

 

 

私は自分がどこに役に立っているか、わからなかったのです。

 

頭では分かっていたけど、腑に落ちていませんでした。

 

 

 

 

今の自分の行動が、どこに繋がっていくのかを

明確に分かっていませんでした。

 

 

 

分かっていたかもしれないけど、

向き合うのが怖くて、よけちゃっていました。

 

 

もっともっと

自分が思っていることを

深掘りしていく楽しみができました。

 

 

深掘りができなくて、苦手だったんですが、

楽しみができました。

 

 

 

 

その、ある文章とはこちらにある電子書籍です。

https://twitter.com/kaneko36721216

ありがとうございます!

 

 

 

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