
1996年「危ない1号第2巻」
まだネットが普及される前に出た本で、私みたいな種類の人間にはたまらなかったです。その頃は、まだハタチそこそこの私でした。本当に危ない本で、友人に貸すとかはなかったです。
今日、ペラペラ読み返していました。

読書の特集があり「本の中に無二の真実など存在しない。そこに何が書いてあろうが、読み手は好きに解釈すればいい。」 と、鬼畜的読書のススメが書いてありました。
寺山修司のことは、80年代の東京、それも下北沢あたりでは、寺山の短歌を2、3首暗記して、それをエセ東北弁でボソボソ語るという芸をやれば、上京したてのバタ臭い演劇少女に露骨に尊敬され、その晩タダでお○ん○にありつけたものだが、今では通用しないだろうな。など色々語っている。
根底に故郷の東北や母親との関係が大きなテーマというのも見抜いていて、そんなものはみんな捨ててしまいたいけど、捨てきれないジレンマが若者の共感を呼ぶなど当時面白く読みました。
寺山を読めば過去のでっちあげ方や、効率のよい嘘の重ねかたを学ぶことができるらしい。
太宰治についても書かれています。
今でも根の暗い文学少女には人気が高い、某編集者は太宰の遺体が発見された日に暗い顔をして包帯を手首に巻き、太宰の墓がある三鷹の禅林寺に行き「僕と一緒に死にませんか?」という殺し文句で太宰のファンを片っ端からナンパ、交尾に成功したという。
「走れメロス」のような取って付けたような嘘臭い善良な話を臆面もなくしゃあしゃあとかけるのは、太宰が本当は鬼畜野郎という明らかな証拠である。
「生まれてすみません」という台詞なんかも、実はそんな風に思っていないからこそ書けるのだ。どう考えても自分以外の人間の全てに自分に対して「生まれてすみません」と謝って欲しかったというのが本音であろう。
太宰の文学の中には、そうした幾重にも重ねられた嘘がびっしり詰まっていて、ここからも我々は多くの嘘と詐欺のテクニックを学び取ることができる。
「選ばれた者の恍惚と不安」
という言葉に代表される、高慢ちきで脆弱なエリート意識が余すところなく反映された太宰文学だが、「晩年」「斜陽」「人間失格」の3冊を読めば、その魅力も嫌味も充分理解できるだろう。読みようによっては恋愛詐欺に応用が効く、あざといレトリックがふんだんに学べるので超便利。
他にも色々書いています。面白い見方をするなぁと調べたら「黒田一郎」という方でした。
検索してみると…
村崎百郎の本名でした。
村崎百郎なら知っています。あのゴミ漁りで有名な電波系。今になり知りました。感慨深いです。
著書に「ジ・オウム」
「鬼畜ナイト」などなど。