先日[たま]のことを書きました。懐かしくなって歌詞を検索したり、YouTubeで見たりしました。
ランニング姿の石川浩司が歌う[学校にまにあわない]を私は辛い歌だと紹介しました。
どんな歌詞だったか最初の方を、やや忘れていたので、この曲も歌詞を検索して見ました。
[三年前建設した階、四十年前に建設した階]
「かい」って「階」だったんだ!
石川浩司の歌い方が「かい。や、かい!」だったのでてっきり「そうかい。」とかの「かい」だと。
いや、そんなことより、中学生の時に聞いて感じていた漠然とした不安が、歌詞を見ると何故なのか鮮明にわかりだしたのです。
さっきの歌詞は落下の様子を表しています。
歌詞を書きますと、
[百万階建てのビルディングの建設。
階段だけしかない それだけの為の建物。]
※上に上に行く為にだけ作られているようです。百万階ですから かなりの上まで目指していることになります。
[夢うつつの作業現場 鉄のぶつかりあう音 建築の快感 目的の遂行]
※ 夢うつつという歌詞も相まって、これは夢の中の出来事だと私はなんとなく思ったのでしょう。現実と夢が行き来する白昼夢のようで私が当時辛くなった原因の一つです。
建築の快感とは多分、学力向上のことだと思います。良い大学に入ることやいい会社に入ることが、目的の遂行だと思います。
[ある日足場踏み外して そのままの姿勢で落ちてゆく]
※挫折を表していると思います。石川浩司自身のことを書いているとすれば、大学など中退し、音楽の道へ進む、社会のレールから外れて不安定な世界へ行った自分を表しているのでは?なんとも怖い歌詞です。
[三年前建築した階 四十年前に建築した階]
※落下の様子を階で表現とは凄いです。がんばって何年も建築(勉強)してきたのがわかります。
[でも下には網がはってあって僕はうまいことフィニッシュを決めるのさ]
※レールを踏み外しても上手く生きていったみたいです。
[満場のお客様が一斉に拍手拍手 でも一人だけ後ろ向いている男がいるぞ よーし、こいつ前にいって顔を覗き込んでやれ なんだ僕のおとーさんじゃないか]
※みんなは褒めてくれても親だけは認めてくれないようです。
歌詞は省略しますが、らくだの目だけあったり、見ないように見ないようにしているけど、どうしても見てしまう。など不安定な歌詞が続きます。
[ミタナ、ボクノオモイデ、キミハキョウ、カワニドブントオチルヨ]
※ここはキチ○イのように石川浩司は絶叫してます。(建築の快感なども絶叫)まるでさっきの歌詞を聞いてはいけなかったみたいに…汗。
[学校にまにあわない先生におこられるよ 教科書が見当たらない、ノートもどっかいっちゃった]
※凄く焦りを感じます。学校に遅刻するなんて 当時の私と重ねると恐怖しかありません。 学校とはけして楽しいところではなく、怖い所であり絶対的な支配を感じていたのを…心の奥に閉じ込めていたのを開けられたかのような歌詞に私は恐怖したのです。
教科書が見つからないので学校には行けないです。「学校にまにあわない」の連呼。終わらない悪夢を白昼に見せられているかのようです。私は当時カセットテープを早送りすることなく 聞いていることが多かったので、この[学校にまにあわない] もスッゴく聞きたい訳じゃないのに自然と聞いてしまい、不安定な気持ちになったものです。(あと行き先が同じだったので、親の車で駅まで学校に行く時に、このカセットテープを流してました)
最後には石川浩司のアドリブ台詞が入りますが、ライブやCDでは毎回台詞が違うようです。
校庭で片足でピョンピョンしてなさいと校長に言われ、ピカッとした光がふり 学校もみんな消えるけど 言い付けを守りずっとピョンピョンしている なんともいえない感じで終ります。でも中毒性があります。
今になって石川浩司の狂気に満ちた才能を改めて思い知らされました。