魅力とはギャップである。 | シン・135℃な裏庭。

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ギャップのある人というのはステキです。


人を寄せ付けないような怖さのある人が、実は万人への深い理解と配慮をもつ人だったり。


ど天然な人かと思ったら、ある部分では人智を越えるほどの独特の才能をみせたり、


優しくたおやかな女性が、男の中の男以上な強さを芯にもつ瞬間を垣間見たり。。


マドモアゼル愛さんがフリーエネルギーの成り立ちをよく力説されています。


作用と反作用によりエネルギーが流れ込む。すなわち、ギャップに常に生きたエナジーが循環するというわけなんですね。


私は、これ、ひとは本来の姿に導かれることを拒なければ、誰でもギャップ的存在であると思うのです。


つまり、自分の感覚を優先で生きるとギャップがあり、ほっておいても新鮮なエナジーの中で生きる。


反対に、親の思うように、世間の顔色を伺うことを優先して生きると、その一面の着ぐるみだけとなり、エネルギーを得られずに消耗していく。動けなくなる。これほどがんばっているのに他人からは魅力的にうつらない。。


本来の姿というと、このように生きて来た人はワガママになると恐れますが、逆のように思います。


人のことがいい意味で気にならなくなるというか、罰しなくなるので、優しく調和的な存在にはじめてなりうる。


そして人の本来の姿を喜べる存在になる。


ギャップってかわいいですおねがい


ああ、なんて愛らしいのだとそういうキモチを喚起させるものですおねがい


大丈夫です。出来ないとこを無理して自分ひとりで頑張らなくても。全方位できる自分をめざさなくても。ああ、愛らしいと、できない部分を得意な人が、そのエネルギーを運んでくれるのです。

 
そして、自分もそのような存在で誰かのギャップから生まれた谷を埋めたりするエネルギーとなるのです。








いつもママさんコーラスのような歌ばかりうたうお姉さんのこのギャップ!!


かっこよすぎて、ますます好きになりましたラブ


ギャップこそ、魅力ですハートラブラブ