加害者被害者次元を越えること。 | シン・135℃な裏庭。

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私の夢の1つの大きなベースを担う部分に、



争いのない、裁判のない世界


というのが、あるんですおねがい


色々、デコラティブな美しい空想があるんですが、その美しい世界の誕生のためには、どう考えても上記は必須なんですよね。


ずっと数年前から、依存、対抗、被害者加害者意識、悪口、妬み、嫉みを棄てる、越える作業を1つ1つ、レンガ職人のように地道に取り組んでいました。


それは、半端なくしんどい作業でもありますし、現在も作業中です。


ただ、ある程度自分のパターンであると、癖であると、把握していくことが徐々にできつつあるような気がしています。


そうするとその癖の源泉をみつめることができる視点を持つことができます。




昨日、とあるネットニュースで、電車で盗撮している人に注意をしたら、逆ギレされて、殴られ、首を絞められたという記事がありました。


いいコラムを書く方だったので、その一部始終を読ませて頂きました。


すごく印象深い記事でした。


その盗撮した人が暴行に転じ、騒ぎを起こし、警察に取り調べを受けている間に、一貫して怒号のように主張していたことは、



自分は被害者である!!


すべてがそうだったそうです。


盗撮したのも、向こうのせい。自分は被害者。


殴ったのも、お前のせい。自分は被害者。


取り押さえた警官には、不当逮捕だと叫ぶ。自分は被害者。


連れていかれる間も、国家は自分を不当に連行していると叫ぶ。自分は被害者。。




昔、職場で、人間関係の極めて悪い二人がいて、おおもめにもめた時、誰からみても、いじめていた側が、



わたしこそ、被害者!!


と、逆ギレしたことが非常に印象に残っていたのです。


つまり、被害者加害者とは、同じ次元の発想に転じかねない世界であるのかと。。



平和を夢みます。与えあい、自然の恵みの恩恵をうけながら、豊かな創造のできあう世界を夢みます。そして、向かっているつもりです。


しかしながら、その世界を実現するためには、上記の感情の癖をクリアしなければ、どれ程のステージを用意されていたとしても、何一つその恩恵を生かし合うことは不可能です。


退社することになってから、色んな人としんみりお話することがありますが、


この、加害者被害者次元の増大に胸を痛めるお話が多数ありました。



これは、癖なのです。
積年刷り込まれた癖なのです。
本当は幼児のような、人が悲しんでいたら慰め、楽しかったら一緒に笑うような、そういうピュアな存在なんです。



旦那さんに不満が止まらないならば、旦那さんと思わずに、足長おじさんだと思えばいい。
毎月、黙って援助してくださるありがたい人なんだと。



子どもを他人から誉められるように育てるのではなく、あなたが手放しで誉めればいい。



会社に不満がとまらないのなら、自分は、1つでも、その会社の商品に惚れ込んだものがあるだろうか?と、立ち止まってみるといい。


今日生きているということは、何かしらの恩恵を受けているからなんだけど、イヤなことのインパクトに乗っ取られやすいから、1日の終わりに、今日の良かったことを一行でも記す。




癖は見破るとかなり楽ですが、積年の恒常性を変えるためには、練磨していかなければならない。


だから、小さな変化の糸口を見つけられたら、それをしばらく続けるのです。できるだけ、小さく、劇的ではなく。


そうすると、いつのまにか、あなた全体の世界が変わっていくんだと思います。


ステキな世界に住みますか?


それとも、被害者加害者、争い、裁判の泥沼の世界にとどまりますか?


選択は、自分でするのです。



夏至の季節によせて。キラキラ












北海道のお土産の白いブラックサンダー。


子どもたちは、矛盾しとるやん🎵って笑っていました。


被害者加害者というのは、白いブラックみたいなもんなのかな?


とても、美味しかったです口笛