手放し難きを美しく手放せたとです。 | シン・135℃な裏庭。

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昨日の新月の日に


あるお別れをしました。


長年、愛用し続けた携帯です。


それはそれは、大切に愛しすぎて、6年半の間、電池パックを一回替えたのみで、全く問題なく機能し続けました。


なぜそこまで大切にしたかと申しますと、この携帯でブログを書き始めたからなんですね。


私は自分を表現することに素晴らしい喜びと解放感にうち震えたのをはっきりと覚えています。


それは、まるで大海原に瓶に手紙を書いて放つような委ねの、委ねからの返答をわくわくしながら待つ子供のような楽しさでした。


携帯にはブックマークをしてそこから発信していたので、ログインの仕方を忘れてしまいました。


すなわちどういうことかというと、携帯を変えてしまうともうブログにたどり着けなくなる、、


そういう怖さも含め大切にしていたのですよね。


なせなら私は大変なメカオンチだからなのです(笑)


いつしか、いくつになっても手放せない寝るときの毛布のようになっていたかもしれません。


しかし、今年になってから、そろそろお別れをする時がやってきたようなさざ波を感じていました。深い部分で。


ありとあらゆる機能が終了していきながら、(ガラケーなので)それでもブログにログインできなくなる怖さから握りしめていたんですよね。


しかし、2月くらいから、根底から揺るがす変容を経験していくなかで、


まるで昨日が前世のように感じるほどの自己変化の脱皮のなかで、


[すべての人の幸せを願う私に還ります]


というわたしが表れてから、それさえ手放せるような気持ちになりました。


断捨離とか、覚悟とか、そういう鋭角のような気持ちではなく、もっと優しみに溢れた気持ちです。


いままで愉しかったよ🎵
ほんとにほんとにありがとう❤
もし、あなたとの別れになってしまっても、私の中には生き続けるから、宇宙はこの世は変化していくから、だから、私も、新しくなるよ。
ほんとありがとう。*


新しく挑戦していることが、端末がスマホでないとならないのです。


まさに、予感したように、お別れの時でした。


それは亡き父とのさよならにも似た、ピュアなまっさらな美しいお別れができたように思います。


その時は、ブログを失うつもりでした。


でもこの記事が書けているということは、四苦八苦しながらログインできたのです。


私にしては上出来です。。


また、再会できたということは、再びご縁を頂いたということ。私にとっては。


ということで、またよろしくお願い致します。


新月の日、


手放し難きを美しく手放せたとです。


それでも私は失うものはないという愛に包まれながら。キラキラ





新しい扉が開いたのです。キラキラ