ぶさいくやからこそ、愛するの。 | シン・135℃な裏庭。

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『正直に生きることほど強いものはありません。
驚く時には驚き、悲しい時には悲しみ、喜びの時には喜ぶ。

悲しみや苦しみや恥を避けつつ生きようとすれば、私たちは欺瞞の淵に沈み込んでいく以外にないでしょう。

どんなに避けようとしても、悲しみや苦しさは必ずあるのですから、そのあるものをあくまで避けようとすれば、自分自身を騙しの世界へ引き込む以外にないのです。

『男なんて‥』

『お金なんて‥』

『出世なんて‥』

と、コンプレックスを刺激するものから目をそむけようとするとき、私たちは自分の人生を捨ててしまうのです。

悲しさや苦しさ、そしてコンプレックスを刺激するマイナーなものは、たしかにイヤなものではあるでしょう。

しかしそれから目をそむければ、自分を失うことになります。

本当に私たちが愛すべきものは、自分のマイナーな部分なのです。

マイナーであればあるほど、なまなましく自分という存在を実感できるようになっているのです。
なぜなら、それは自分自身によってしか認められないものであるし、自分自身によってしか愛されないものだからです。

自分の醜さ、悲しさ、苦しさ‥そういったマイナーな部分にこそ、私たちは優しい目を向け、いたわり、それを責めずに認めることが大切なのです。

そうしてあげることで、私たちは自分をごまかす必要がなくなるのです。

みんなが一万円を持っている時に、

『私百円しか持ってません』

と正直にいうことで、みじめで貧しい自分を自分だけは見離さないですむのです。

そして、こうした生き方をすることは、心ある人、良識のある人の心を、必ず揺さぶります。

自分をごまかし、自分を失っていり人は、百円しか持たない貧しい人を見て、ここぞとばかりに優越感を抱き、場合によってはそれをひけらかすことをするかもしれません。

しかし正直で良識ある人々は、誰一人、百円しか持たない人を恥ずかしめるようなマネはしないでしょう。

むしろ自分の貧しさを受け入れているその態度を見て、その人も心を開き、暖かい人間的な目を向けてくれるはずです。

要するに、マイナーな自分の弱点を正直に出した際に私たちを傷つける人というのは、自分をごまかし、自分を失っている人だけだということです。

なのに私たちは、自分を傷つける人を恐れるのです。』







『自分の素晴らしさに気づいていますか』より。☆





マドモアゼル・愛さん。☆






この一文を読みながら、息子を産んだ時のことを思い出しました。

少しシニカルな人がお見舞いにきて、結局さいごまで皮肉は言うけど、かわいいとの一言を一切言わなかったんです。

産後の急激なホルモンの変化だと今なら思いますが、ひどく辛くて、生まれたてのゴリラっぽい顔の息子に強い思いが湧いてきたのです。

ああ。不細工だからこそ、私が愛するのだと。☆
他人に可愛いとあまり言われないから、私が愛するのだと。☆

結局、ゴリラみたいな顔は産後すぐだったからなんですけどね(笑)

でも、あの時発露したキモチは、母性?だったのかな?