敬愛をもつこと。 | シン・135℃な裏庭。

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息子が修学旅行に出掛けている。


初の海外旅行だ。


小さい頃から中学生くらいまで


『オレ、飛行機に絶対乗らない』


と言い張っていたのにね♪


小さい頃テレビで見た飛行機事故などの映像が魚座の過敏すぎるハートに響きすぎたんでしょう。

ちょうど311の二週間後くらいに都庁の建物が見たい!という息子の熱望により(ゴジラででてきたのかな(笑)東京旅行を計画していて(予約済み)その時も、頑として飛行機は嫌だというから新幹線を。


結局、あの震災があって旅行会社の人が気を使ってキャンセルを申し出てくれました。


今、無理やり行って、人口を増やしても、食べ物飲み物、ライフラインを奪っては申し訳ないという結論に至り、行かなかったけど。


人って変わるよね♪


またなにかの拍子に飛行機を過剰に恐れるキモチが沸き上がってきたらいけないな~と、努めて知らん顔していたけど。


なんだか外国にすごく親和性があるみたいで、すごくすごくわくわくと出発していきました。


迷ったけど、スマホも置いて出掛けてました。


あのこら世代はスマホはほぼ『手』なんですよね。


もちろん息子も例外ではありません。


それを勇気を出して置いていく決断。


やるやん♪


なぜやるやんと感じたか。


それはスマホを持たないことにより、その土地の空気感、匂い、波動、感性、エネルギーをより肌で感じるだろうと思うからです。


スマホや携帯を持っていると便利かもしれないけど、まずスマホありきな行動になるのは目に見えています。


素晴らしい景色を身体や魂?で深く堪能する前にパシャパシャやってSNSにアップする。


一瞬一瞬変わる雲や太陽や熱を味わう前についついスマホを下を向いていじる。


私は、ある時期から子どもの写真をあまり撮らなくなってしまったのですが、それはカメラ、ビデオを回してみていると、全く『見ていない』という事実に気がついたからです。

全く私の身体の中に直接的記憶として残っていない。


どれほどテクノロジーが進化したとしても、この肌から浸透していくような五感、もしくはそれ以上の感性を使って入る魂の揺さぶり、振動には歯がたたないのでは?


という確信があります。(プロは違います。プロはその揺さぶりをフィルターを通して捉えることができるんだと思います)

本当に好きな人を目の前にしているとき、人は携帯をひらかないでしょ?

そういう感じ?


出かける前に、こう言いました。





『そこで暮らす人への敬愛のキモチをもつこと』



こういいながら、ちょっと違うな。っと言いながらその言葉を黒板消しで消しました。



そういうのは、言葉で伝えるものではなく、今までの私の姿を見てきた総決算のような積み重ねでしか教えられない分野だな~と。☆