教育という言葉と行為は傲慢で肌に合わないわ。 | シン・135℃な裏庭。

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姪からの訴えであります。


姪は、ほんの幼児の頃から、生活に潤いをもたらすことが好きでセンスがある子供でした。


草花を摘んで帰ってきてはかわいらしい小さなグラスや陶器や入れ物に飾り、リボンなどでアクセントのデコレーションをしたり。


木の実を拾ってきたら、愛らしいネックレスをいろいろ工夫して作ったり。


私はそういう彼女をとても大切に愛でておりました。


私、画家になりたいな。☆


最近そういうことを言うらしいし、画家にならなくても、いまだにそういうことが好きな女の子です。


当然、図工も好きでしょうし、ワクワクと制作していると思います。


そんな彼女の版画の作品が家具の上に飾ってあり、それは大きな本の上に座った夢見るような赤い服の女の子が花がちりばめられた宙の中にうっとりと軽く存在しているような作品で、私のハートを鷲掴みしてしまったので、彼女にステキね。☆と伝えました。


彼女は今度六年生で思春期に突入しはじめています。


思わぬ暗い表情と暗い声でこう語りはじめました。


『あのね、この作品、先生からボロクソに怒られたの。みんなの前で。


空間が空きすぎているからダメだ!ってさ。


他の友達は、作品を勝手に手直しされた上に、その良さが台無しになった。


先生はひどいんだよ。


あまり上手ではない子の作品をわざと皆にみせてこの作品の欠点を上げろ!って、手をあげて発表させるんだよ!


言われた子はすごく恥ずかしくて落ち込んでいるのがわかるから、私、ほんとうにイヤだった。


あの先生、いつもそうなの。


私、ほんとうにキライ!』




そうか。


なこちゃんもキライや。そんなやつ。




子供時代からこんな風に雪崩のように嫌な『教育』を相変わらず子供たちは1日座らせられながら浴びているのね、いまだに。。



気にするなと、これは素晴らしい作品なんだと、少なくともなこちゃんはハートを鷲掴みにされたし、その空いた空間には目に見えない音楽が満ち溢れていて、この赤い服の女の子はその音楽が微かに見えているような、そんな素晴らしい作品なんだと伝えました。


つたないけどそう伝わってくるからね♪




息子の成績表の先生からのコメント欄に、ダメなところしか書かない方がいらっしゃいます。


動じることはないけど、ダメなところしか‥っていう、そういう方は、はっきり言って教師としてどうかな?とはっきり言います。


そもそも『教育』という言葉から派生する感じがなこちゃんは幼児の頃から大嫌いです。


この傲慢不遜な言葉を平気でのたまう輩に限って、まったく検討違いも甚だしい価値観の押し付けと心を殺すようなことをへーきでやっています。

自分は『教育者』だと。


自分が上でこいつらは下だからと。



逆だぜ?



もはや。



さて、今年の予言をいきますか。





上下がひっくり返ります。


教える立場だと頑なに思っている人は


教えられている立場の人たちからあっさりと抜かれていることを痛感させられる事象に見まわれるでしょう。


見切りをつけられていきます。


その固定観念が新しい躍動を受け入れることを拒んできた結果です。


創造やインスピレーションは、もっとも下から流れてくるということ。


体は小さくても進化した人々かもしれないという疑問。


自分は逆にこの子らにお守りをしてもらって生きているのかもしれないという正確な感覚。



そういう新たなキモチで眺めることです。



じゃないとお守りも限界があるのですよ♪



世界は新しく羽ばたこうとしているのだから。☆