そのやり方では何も変わらない。どころか下降するだけ。 | シン・135℃な裏庭。

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怒る人が多い。

怒られる人は決まっている。

怒られる内容も一緒。

私が若い時代より遥かに細かく完璧を求めてすぐ怒る。

年寄りが街に溢れかえるようになったから、年寄りに「価値」が喪失したように。

怒る人ばかりになったから怒ってなんとか「人を変えよう」という方法は「価値」が喪失。

怒るのは、怒る人のそこに問題があるんじゃないの?

という不様な姿を晒しているだけ‥のようにも見えてしまう。

怒られて内向に向かう人はびくびくびくびく怯えて、改善するどころか、更にギクシャクと同じ失敗を繰り返す。

怒られて外向に向かう人は、不貞腐れて開き直る。


どうすれば本当にこの人、この現象が良くなるのかな?

怒りを一旦静めて、考える考える考える想像する想像する想像する‥

答えは、その人を大切に見つめること。

まるで自分が産んだ子のように目を細めて「見つめる」。

そうすると、違う面の良さが現れはじめる。

というか違う面をはじめて「知る」

そこを、言葉にして伝える。

顔がパアッと明るくなる。

生きようとするホルモンが出てくる。

少しずつ積極的になる。



二世タレントの事件で、母親が甘過ぎという意見をチラホラ目にした。

もっと怒れ!と。

怒って、本当の意味で見つめなかったから、こうなってしまったのかも‥と、忙しすぎた母親も子供もかわいそうに思う。
明日があると思うから、深くみれない。

明日、自分は死ぬかもしれない‥という想像の元で周りを見渡せば、忍耐の不足なだけの怒りは到底相手にぶつけない。

相手を愛だけで「見つめる」ことに気がつく。

そして、越えられなかったエゴの「照れ」を、勇気をもって乗り越えることが可能になる。

それは「想像」が「創造」へとシフトチェンジする瞬間。




怒るという力を発揮できるのは、これができた人のみ。


もちろん私も旅の途中。



神様は、大切なこのことに気がついて欲しくて人の命を有限にしたのかもしれないな。☆