最近、ふと、過去に私が人を傷つけた経験が、発酵の泡のようにぷすぷすと浮かんでは消え浮かんでは消えする。
それは今まで生きてきた日常の些末な瞬間に間違った交わり。
なぜ間違ったかというと、確実に確実に自分のストレス、歪み等の感情を相手を使って晴らした。
というのが手にとるようにわかるから。
怒らないというのじゃない。怒ったりしてもスカッとしているのはちっとも構わない。
そうじゃなく。
明らかに、相手の優しさピュアさを傷つけた。という記憶。
友人家族子ども知り合い…いろいろ。
泡がぷすっとはじく度に、作業の手を止め、密かに痛む。
ああ。ごめんなさい。と今はいない過去のその人に謝る。
顔から火がでそうなくらい苦しい。
人を傷つけるということは自分も長い間傷ついているということをその痛みで知る。
ああ。願うなら、この種の意地悪をもう経験したくないと思う。
卒業したいと思う。
ただ、そこに向かうには日々、瞬間瞬間の強靭な意思の力と観察力がいるのよね。
ちょっと目を離すと楽な方にすぐ靡く、それは、つい疲れから意地悪になるのよね。
ただ卒業の方に向かっていきたい。
今日は5年ぶりにパーミーをかけた。
いつも巻いたりしてるからあまり変わらないけど、暑いからなるだけ手軽でいい感じになるように♪
うん、なかなかいいかな?(照)