『自身の霊性に天来的にかみ合う相手には、魂は自ずと献身性へと導かれる性質があり、その導きに従えば、性交は、単なる肉体上の快感を越えた至上なる悦びを提供し、両者の天性を開花させることになる。
それは必ず偉大なる創造性を生み出すが、
一時の愛を求めての宇宙的流動なき性交は、逆に、各々の中によどみを生じさせる。
水が天空に帰り純化されるような円的流動が生まれないからだ。
すなわち、それは、相手の背負っているカルマ的霊性を性器を通じて吸引したままにとどめてしまうことを意味している。
多くの異性と交われば交わるほど、その見えざる本質因子はあなた方の内部に異物のように蓄積され、
恒久的に影響をもたらし続けることをあなた方は知らない。
この霊的異分子は、潜在的不快感覚の要因でもあり、理由のつかない不満や怒りの感情となって表れ、自身ではどうしようもない心理の原因となる。
交わる相手によっては、心理レベルの影響を超え、霊障に等しい影響となって後々の運命の流れを損なうことになる。
そうしてあなた方は、むしろセックスによって天来の愛に巡り会う道を閉ざしている。』
『性行為において、女性が身も心も男性の望み通りにゆだねる時、
現代のあなた方はそれを男性主体の行為に思うであろう。
だが、本質次元においては、この時、存在の次元変容の主体は、女性側にあり、
実際、次元変容は、女性側から発生するのだ。
そして女性側の次元変容と高次な快の流動を受け、男性もそれへと至るのである。
それは、個の存在が個の領域を超える瞬間でもある。
宇宙は円である。
皆で手を繋いで円を作るとき、個人的な意志や願望を反映させようとしては円とはならない。
それを自ら手放して、円という存在に自身を解き放つ時、
魂は、真の充足と自由へと至るようにできている。』
『ガイアの法則2』より。
千賀一生さん。☆