①前髪をあげれたら大人だ。☆
②大人になると演歌を好きになるのかな?
③大人になると豊かな包容力をもっていろんなことを受け入れる懐が“自然に”手に入るのだろう。
そんな風に、子供のころ思っていた記憶があります。
①前髪はものすごくワンレン系の横流しに憧れていて、少し年上の憧れのお姉さんは、皆、この独特の影をつくるニュアンスの髪型で、その影は、その人の持つ(ステキな秘密)の証で、、
あ~甘くせつない恋をしているんだろうな。☆
みたいな境界線を感じていたものでした。
おでこを出していない女性は、まだこの秘密感がなくて、ぴーぴーと煩そうだな。と…。(笑)
女性は、このおでこだしって最初、すごく勇気いるんじゃないのかな?私はすごく勇気いったな~
最近、ふとそういう事を思い出して、会議の日にこっそり観察してみたんです。
妙齢の女性ばかり15人くらいいたね☆(上司はほんとたいへんだぞ笑)
おでこだしてるの私だけだった☆
(´∀`)
流行ってないのかな??
(´∀`)
それから②の演歌。
これはね、大人というカタチになって気づいた新鮮な事なんだけど、
まったくそれはない(笑)
好きなもの心奪われるものは、子供だから。大人だから。って、ない。(断言)
その年齢らしく。みたいなのは、一括りにできない自由領域のようです。☆
そして③ね。
これほど、勘違いしていた事はない。
この分野は、個人の“正当なる努力”でしか至れない領域でした。
大人のカタチだけの入れ物に、幼児のような自己主張が入ってるままの人も大勢いるということを、カタチが大人界に所属して、痛いほど感じているところです。
カタチが大人だから、余計タチが悪いというね。。
最近、少し言葉がうるさいと感じていて、
(あっちの主張こっちの主張、洪水のような薄っぺらい情報、プリントの山…)
できるだけ言葉数を減らす運動を1人でやってるんです。
(´∀`)
仕事も今、教えたり教えてもらったり、新しい分野の場所に訪問したりしているので、特に意識してます。
本来なら企画書を持っていくならアピールをするでしょ?
逆をするようにしています。
もうね、担当者さんは、私だけじゃなくて、毎日毎日たくさんのメーカーが押し売り?に来るわけです。
わざと半テンポゆったりとして、最小限のご挨拶を心を込めてします。
で、最小限の言葉にした施策を話します。
するとなぜか向こうから自己開示を始めます。
日々の不満、メーカーのごり押しに疲れていること、などなど。。
言葉に疲れているんです。
なるほどなるほどと聞いています。(実はこの間の話は個人的にも会社的にも改良点やヒントになることいっぱいの珠玉な金言集なのです)
ひとしきりスッキリした後、
一番いいポジションを“向こうから”くれたりします。
ズルい女なのです。。私。
(´∀`)/☆
半分冗談、半分本気な話はそこまでにして、と。
言葉にやられてる方が多いんじゃないのかな?と
今、私が意識して取り組んでいる“正当なる努力”です。
私は『大人』になりたいから。☆
(なっこちゃんは口から先に生まれてきたみたいね)と言われるほどおしゃべりだった元こどもより。☆