子どもが五年生くらいだったかな?
授業参観がありまして、驚いたことがありました。
午後の、そうだな~お昼寝するのにもってこいな日差しだったかな~
国語のね、ある“詩”についての授業でしたね。
カエルかなんかの表現でね、、擬音語がいっぱいで、その擬音語を学ぶ。みたいな。
びっくりしたんです…。
あまりのつまらなさに…。
(´∀`)
『ぎゅろぎゅろ、けろけろ…』とかさ。
もう、怒りさえ感じたね。
それはね、“大人が考える無邪気”“こんな詩を発表する俺、少年だろー?”“子供らしいとは、こういう感性なんですよ!みなさん!”みたいな欺瞞にみちみちた授業だったんです。
私、こういうの、小さい頃から鳥肌がたって、発狂するほどキライだった。
身体は小さいかもしれない。
おバカなことばかりやってるようにみえるかもしれない。
だけど私は、ジャンバルジャンの生き方のどこが悪いのかわからずに苦しんで涙を流し、
キングコングの映画では、人の身勝手さに夜、眠れずに泣き、
カルメンの交響曲につきあがるほど飛翔していた。。☆
初めて好きになった芸能人は沖雅也さんだった溿
“けろけろ”ってなんやねん!
なめとんのか!!
(´∀`)
こんなんが教育かぁ…
世界は激流のようにかわってるのに、教育界は私の頃から一歩も変わってへんな…。
もっと高い感性をもってるの。
小さい身体してるけど。
アウトプットの仕方が上手くないだけで、もっとリアルな手応えのあるものに反応するの。
あーゆーれでぃ?
“無邪気であって欲しい”という押し付けに付き合うのは疲れるの。
不感症になるの。
“フリ”ばかりさせるから。
ちなみに、息子は小さいころからオモチャで遊ぶ時に、破裂音とかを擬音語三昧で表現していたけど、
それはそれは高度な音を出していた。
字に表せないくらいの音を連発していた。
(´∀`)
『ぐぅぎぃぃぎゃがあぁん、どぅぐぎぃやぎゃあぁ~~~ん!』
『けろけろ』とかを遥かに凌駕している♪