善悪という基準。 | シン・135℃な裏庭。

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関西時代の友人の話。


彼女は母子家庭で兄弟が五人いた。


彼女のお父さんは、突然の事故により、まだ幼い五人の子供を残したまま、呆気なく旅立ったそうだ。


当時、末っ子だった彼女は小学低学年くらいだったかな?


あまりに憔悴しきったお母さんが可哀想だったと話していた。


葬儀の前後、


あまり品のない感じの男性が、あわよくばという感じでお母さんにつきまとっていたのを、子供の鋭いセンサーは感知していたらしい。


『うわ~~イヤやったろ?』


その時の私の感性で正直に相槌を打った。


彼女は、その時の情景の中に戻ったような潤んだ目をしてこう言った。





『ううん。お母さんを、お母さんの悲しみを救えるのなら、


助けてあげてほしい…


そう思っていた。。』
















恥ずかしかった。。


目から鱗が何枚も落ちた。


私は、この自分の傲慢な善悪の価値観が崩壊する瞬間が好きである。


善悪という基準は、その人の背景を知れば知るほど、溶けてなくなっていくものかもしれない。


彼女の暮らした背景では

私の暮らした背景での善悪は、まるで意味のないものだった。



自分の目の鱗をたくさん剥いでみたい。




鱗が剥げれば剥げるほど優しく強くなっていくような気がする。☆