拍数と時間と寿命。 | シン・135℃な裏庭。

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セミの一生と、亀の一生は、ひょっとして同じなんじゃないだろうか?


なんて、小さい時から予感していたんだけど


子供の頃とある程度大きくなってからとの時間の体感が雲泥の差があるのは


ほとんどの方が感じていらっしゃるでしょう?


故郷で過ごした18年と

故郷を離れた18年がほんとに同じ時間かよあせる


というね♪


これは、冒頭の予感の通り、


身体の大きさとその個体が持つ拍数により、時間というものが


それぞれ等しくカウントされているそうです。


それはすべて16ビート♪


つまり、セミや子供の頃は、拍数がとても早い。

本人たち自らの回転数が早いから


一日が長い。


一方、亀や大人、老人なんかは拍数のカウントが遅い。


よって一日が一瞬のように過ぎてゆく。。



だけどトータルで拍数をみると『寿命の場合』あまり差がない。。体感というもう一つの時間世界で観ると。

小さい頃から変なことにとらわれてるでしょ?(笑)


もし、長生きをしたければ


この拍数をゆったり打つように、生活から所作から性格を持っていけば良いのだと思います。


それが幸せかどうかは


その方の『幸せを感じる心』しかありませんので

私がとやかく言うところではありません。


ただ、保育園の頃、夢のように死んでいった男の子の事をいつも思い出すのです。


彼は、お友達ではなかったけど


じっとしておくことができない子で


いつも無駄に走り回ったり、きょときょとしていたり、お昼寝なんかできずに小走りでうろうろしていたから


いつもいつも先生に怒られ、叱られ、立たされていたり、無理矢理座らせられたりしていました。

彼のお陰で少々のおてんばは見つかることはなかった。


だけど、同じくお昼寝の意味がわからなく、憤っていた私は、要領悪く外に立たされていた彼が可哀想で仕方なかった。。

黙って立つことができない彼はいつも身体を揺らしていた。


その子は、あっけなく亡くなった。


私は、セミの一生と亀の一生を考えるとき、必ず横に彼を思い浮かべているのです。


ゆらゆらとしながら外に立たされていた姿。



彼はカウントが物凄く早い子だったのだ。☆


誰にも理解できない猛スピードだった。



私は、大人になったら、一面でしか人を理解しない人間にだけはなりたくない。


と、小さい身体で眠たくもないお昼寝をさせられる度に決意を決めていた。


彼は、一般時間でみると超早逝だったけど、身体の脈動は、立派な時間を打っていたに違いない。

もう少し、その命を


罰などで抑えつけずに羽ばたかせてあげたかった。。☆