三人の私。 | シン・135℃な裏庭。

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最近は、そうでもなくなったけど


子供が小さいとき、


何処かに連れていって遊んでいたりするのを眺めているとき、


小さいときの自分が一緒に遊んでいるかのように感じるときがあった。


親は、逐一何かしらの判断を下さなければならなくて


その判断は、往々にして「ダメ」 「早くしなさい」


となることが多い。


その時、彼女が私に無言のアドバイスをしてくる。


「ど~して大人はいつもそうなの?」


「もう少しだけ幸せな気持ちで遊ばせて」


「そういう言い方で私は深く傷ついたわ」




そうやって、子供をみながらもう一度、自分の子供を生き直しているような感じがするな。☆と。



一方、その大人の私は、

そこでなぜそう言ってしまうのかが痛いほどわかるのです。


お母さんは、生活のリズムを回さなければならないのです。


おはようからおやすみまで


その間、何度かの食事、お風呂、家事、洗濯、お仕事、明日のこと、お金のこと、取り巻く人間関係のこと……


だから、そう言ってしまうのです。


かなりの疲労もあり、イライラしていることも多い。


その狭間で常に意思決定をしていくので


上手く、子供の自分がにんまりするような判断がとれる時と、


そうでないときがある。

そうでないときは、やはり一方的で後悔する。




だけど、いつの頃か、もう1人現れた。☆




それは、その判断もすべてひっくるめた、それを許そうとしている美しい自分。


なんだか、遠いところから現れた女神のようだ。


ひょっとすると、未来から時空を越えてやってきた私の意識体?



その人に近づきたいな。☆



なんてボンヤリと想う。。☆