『臨終のとき熊楠は
天井いっぱいの紫の花を見たという。
病状が変わったのをみた娘の文枝が
『お父さま、お医者をよびましょうか』
そう声をかけると、熊楠は
『医者がくるとこの花が消えるから、
呼ばないでくれ』
それが熊楠の最期のことばであった。
幻にみたその紫の花は
熊楠が愛した、楝(おうち)の花であったにちがいない。
(天皇の)ご進講をうけたまわった栄光の六月、
あのとき蕭々(しょうしょう)と雨にけむる神島の楝の木に咲き誇っていた、
あの美しい紫の花であった。
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戦後、民俗学者で当時の大蔵大臣であった渋沢敬三が天皇に拝見したおり、
たまたま話が熊楠のことに及んだ。
その時天皇は、
『南方はおもしろいところがあったよ。
田辺にいったとき、めずらしい標本が献上された。
普通は献上というと桐の箱かなんか、
りっぱな箱に入れてくるのだが、
南方はキャラメルのボールの箱に入れてきてね……
それで、いいじゃないか』
と、微笑みを浮かべながら語られたという。
昭和37年5月、
南紀白浜に行幸された天皇は
御宿所の屋上から神島を眺め、
33年前の熊楠を追懐し、
~ 雨にけぶる神島を見て
紀伊の国の生みし
南方熊楠を思ふ ~
と御製を詠まれた。
天皇が無位無冠の在野の老学者のために、、
である。』
『縛られた巨人』
~南方熊楠の生涯~より
神坂次郎さん。
*この詠は、熊楠記念館の北側に白浜の海風のあたる場所の石碑に刻まれておりました。。