聖書の中に
とても難解で高度な視点が必要な物語がある。。らしい…
らしいというのは、
私が好きで好きで尊敬してやまない作家お二人が
偶然、クリスチャンで
その作品の中には聖書の真髄が常に満ちており、
その発想は、ちまたに蔓延るなんとなくの世界観とは、常々真逆で。
圧倒されっぱなしでした。
たぶん、風呂がま一杯くらいは、目から鱗がはげているはず(´∀`)
そうやって、天才お二方に翻訳されたお話でしか聖書にふれてはいないんだけど、
『どんなひとにも500円払う』
みたいな話があるのね。
500円は私の創作(´∀`)
ある大農園で、雇い主が働き手を
『1日500円やるからきて
』と募集しました。
(ちょっと安かったね)笑
たくさんの労働者が働き出しました。
そのうち、こういう不満を訴え出しました。
『オレは、朝からずっとまじめに働いてるのによー
あの野郎は、いつも仕事のふりだけして、サボってやがる!』
『わたしは、こんなに、みんなのためにがんばってるのに、
あの奥さんは、男とばっかりしゃべって、遊んでばかりいる!』
私ばかり(損してる)!(`へ´)
だから、あいつと同じ給料は嫌だ!
あいつは、100円にしろ!
そこの主は、
『私は、最初に500円と言いました。
だから、どんな人にも500円払うのです』
これね、若い時はよくわからなかったの(笑)
だけどね。
人間関係の揉め事はね
ほとんどこの発想からきているんだよね♪
バザーの話をしているとき、
なんとか全員のお母さんたちをお手伝いさせるべきだ!
という意見。
理由は、必ず出席しない人がいるから。
私は、『これ』危険だと考えている。
子供の数だけ親は子供以上にバラエティーにとんでいる。
生活も、仕事も含めて。
どうしても参加できない事情があるひともあるだろう。
極端に人みしりな方もいるだろう。
生活が乱れて怠けてる方もいるだろう。
無理にひっぱりだす必要はないと思う。
部活は子供のフィールド。
主役は子供。
家でいろんなことを抱えている子だって明るい顔をしてがんばっているかもしれない。
親に手をやいていて、ひた隠しにしている場合だってあるのだ。
一生懸命健気に隠している事を、白日のもとにさらけ出すような正義はいけないよ。。
そして、そのあと必ず
〇〇君のお母さんったらね…
と、やり出すから。。
子供の前でいったりするから。。
できるひとがやればいいこと。
変な平等意識こそが差別意識を産むのだ。
農場の雇い主は、
サボっているように見えて、
あなたには、すんなりとできることが
あの人は、ほんの少ししかできなくても、
そのかけたエネルギーや一生懸命さは
結果だけ見ていてはわからないんだよ。
という事を言いたかったんじゃないかな?
この労働者たちの発想ってね、
実は、すごくこびりついてるんだよね(笑)
あ!また出た!って、自分でしょっちゅう感じる(笑)
だからね、
自分が雇い主の視点になるしかない。
『じゃ~また、私ばかりが損するやん(`へ´)』
そう、チラッとでも出てくるのが労働者たちの発想(´∀`)
頑固なんだよね♪
だけど、職場や学校、、人間関係の揉め事はこれからはじまるのよね。
揉める世界から上昇したいのであれば
この話を思い出してみてください。
この宇宙は、オフバランスこそ、バランス
