『丸暗記したほうが早く、世話ないんですが、
なぜと考える人を育てる方が大工としてはいいんです。
丸暗記してもろうても後がありませんわな。
面倒でも各時代の木割りがなぜ違っているのかを考え、極めるには大変な時間と労力がいりますが、
後で自分流の木割りができますのや。
そうして初めて本当の宮大工といわれるようになるんです。
丸暗記するだけでは新しいものに向かっていけません。
ですから物覚えがいいということだけでは、
その人をうまく育てたことにはなりません。
丸暗記には根がありませんのや。
根がちゃんとしてなくては木は育ちませんな。
根さえしっかりしていたら、
そこが岩山だろうが、風の強いところだろうが、やっていけますわ。
何でも木にたとえてしまいますが、
人でも木でも育てるということは似ているんでしょうな。
ただ、育て方にも棟梁の形がありますな。
全部、無理矢理、自分がしたようにせなならんいうて、
それに押し込もうとする人もあるでしょうが、
それは無理ですな。
木の使い方と同じように、
癖を見抜いてその人のいいところを伸ばそうとしてやらななりませんな。
育てるということは、型に押し込むのやなく、
個性をのばしてやることでしょう。
それには急いだらあきませんな。
『木のいのち木のこころ』より。
最後の宮大工棟梁
西岡常一さん。。