戦後の教育は、
ことごとくここに書かれている姿勢とは反対であった。
『憎しみのあるところには裁きを
疑惑のあるところには徹底追及を
誤っているところには謝罪を
闇や悲しみをもたらす政治には拒否を』
であった。自分がその解決に一枚噛むという姿勢ではない。
しかも解決はいつも他人がしてくれるべきものであった。
『悲しみがあれば慰めが用意されるべきで、
理解されない時はあくまで理解を要求し、
愛したりしたりすれば損するから愛されることを求め、
受けるのは当然の権利で、
国民が与えてくれることを国家が期待すべきではない。
こちらが許すのは、
相手が許してくださいと言った時だけだ。』
だったのである。
フランチェスコの「平和の祈り」と、
たえず相手を糾弾する姿勢を叩き込んだ戦後の平和教育と、
どちらが和をもたらすのに有効か、
時々考えるべきだろう。
フランチェスコ
平和の祈り
『私をあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を
いさかいのあるところに許しを
分裂のあるところに一致を
疑惑のあるところに信仰を
誤っているところに真理を
絶望のあるところに希望を
闇に光を
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
愛されるよりは愛することを
私が求めますように。
なぜなら私が受けるのは与えることにおいてであり
許されるのは許すことにおいてであり
我々が永遠の命に生まれるのは死においてであるからです』
人生の原則より
曽野綾子さん