司馬遼太郎さんのご著書で
幕末の志士たちというのは
不思議と、詩人が多い。
と、書かれておりました。
以前、鹿児島の知覧にある
特攻隊の記念館に行った時、
わずか、二十歳前後の皆さんの
驚くほどの
言葉の豊かさに驚きました。
家族や大切な方に宛てた手紙の数々……
館長であられる鳥濱さんのお話によれば
検問が厳しく、恐らく本心、本音はかけなかっただろう…
との事(@_@。
それを差し引いても
その豊潤な言葉の見事さに
息を呑むほど……
継母に、ありがとうを伝える言葉。。
死にゆく自分を桜に例えて詠った詩。。
他、多数。。。
愛とか、叡知とか、理想とか、利他の気持ちとか
そういうのを
行動にうつそうとするとき、
「美」として
人を詩人にさせるものなのでしょうか?
すべては
おそらく連動しているのでしょうね…☆
「私が私の私は……
あれをして、これをして
私の為に、これだけしてよ!
なんで捨てるの?
私が、私が……」
というような歌を
仕事中、有線から聴こえてきて、
ふとね。。
幕末の志士の唄や
知覧の手紙の事を
ぼんやりと考えておりましたとです…☆