大好きな寺門琢巳さんの
ご著書の中で
宮沢賢治について興味深いことを書かれていました。
宮沢さんはお父様と
とても折り合いが悪く
激しい衝突をくりかえしていたそうです。
後日
お父様は
『あのこは、縛り付けておかなければ
本当にどこかに消えていきそうだった。』
と、懐述されていたそうです☆
それで、寺門先生は
『感性的な天才は
なぜか、父親と非常に上手くいってないことが多い。
たぶん、魂的なものが
飛翔しやすくて、肉体を忘れやすいんだと思う。
その肉体を地上に結びつける役割として
物凄く、折り合いの悪い父親という存在が
必要なんだと思う。』
みたいな事を書いていらした☆
なんとなくわかるような気がした。
以前見たベートーベンの
『不滅の恋』という映画でも
胸が苦しくなるほど
イヤな父親が登場した。。
最近、読んだ本に
『無限の可能性的なことを
こども達に教えることが流行りでいいことだけど
同時に、とるに足らないちっぽけな存在だということも
教えないといけない。
じゃないと
肥大した自尊心だけが膨らみすぎて
バカでアホなどうしようもない自分は
本当の私ではないという
誤作動をおこしだす。
でも、これを言えない風潮が
教育の現場に漂っている』
と、ありました。
なるほど~~~
松下幸之助さんは
成功した理由について
☆貧乏だったこと
☆身体が弱かったこと
を、上げていらっしゃるそうです☆
(もう一個、忘れた)
つまり。
重力こそ、
『今、ここ』なんですね♪
その重力をしっかり受け止めるのが
身体感覚なんじゃないかな~
なんて想うんです。
『重力があるから、自由に動ける』
と聞いたことがあります。
宇宙飛行士の無重力状態を見ていると
ほんと、不自由そうだもんね(笑)
理想な私もあるけど
痛いほどのダメダメな私も
同時に認めることが
重力があって身体がある
意味なのかな…と
最近、そう想います♪
肥大した自尊心だけの
独り歩き…のような
痛い姿にならないために
一番、有効なのは
『自分を笑いとばす才能』
なんじゃないかなって
想う(笑)
重力のある暮らしの悲哀を
一瞬で救うもの。。
それは
『笑い』(´∀`)/☆
らぶ☆