全大宇宙は
神の外にあるのではなく


神の中に…
神に抱かれて…


育てられている














静けさの中に

一瞬の何か…

湧き上がる


一瞬なのだけど
それを感覚や色や形に現してゆくと
膨大な何かになる

常識では理解できない
でも

当たり前…

感じる何か


常識って何なのでしょう


この世で

常識

言われているものって…

一体
何なのでしょう…





愛は真により真は愛により

向上し弥栄する




真の愛とは…










はじめの喜びは食物ぞ

次は異性ぞ

いずれも大きな驚きであろうがな

これは和すことによって起こるのじゃぞ

融け合うことによって悦びとなるのぢゃ

喜びは神ぢゃ

和さねば苦となるぞ
悲しみとなるぞ

まず自分と自分を和合せよと申してあろうが

そこにこそ神の御はたらきあるのぢゃ

ぢゃがこれは外の喜び
肉体の喜びぞ

元の悦びは靈の食物食うことぞ 

その大きな悦びを与えてあるのに
なぜ手をださんのぢゃ
 
その悦び
驚きをなぜにもとめんのぢゃ

なぜに神示をたべないのか

見るばかりでは身につかんぞ

よく噛みしめて味わい悦びとせんのぢゃ

悦びが神であるぞ

次には神との交わりぞ

交流ぞ

和ぞ

そこには
かつて知らざりし驚きと大歓喜が生まれるぞ


神との結婚による絶対の大歓喜ぢゃ


神が靈となり花婿となるのぢゃ

人民は花嫁となるのぢゃ

わかるであろうが

この花婿はいくら年を経ても花嫁を捨てはせぬ

永遠に続くのぢゃ

結婚ぢゃ

何ものにも比べることのできぬ驚きぞ

悦びぞ

花婿どのが手を差し伸べているのに
なぜに抱かれんのぢゃ

神は理屈ではわからん

夫婦の交わりは説明できまいがな

神がわかっても交わらねば


神と融け合わねば真理はわからん


なんとした結構なことかと
人民びっくりする仕組みぞ

神と交流し結結婚した大歓喜は
死を超えた永遠のものぞ



消えざる火の大歓喜ぞ



これがまことの信仰
神は花嫁を求めてござるぞ






早う神の “ 懐 ” に抱かれて下されよ