今日もブログを読んでくださり、本当にありがとうございます
私が侑來を亡くしてからお会いしている友人達は「最初から子供が居ない人」もしくは「我が子を亡くした人」が殆どなのですが今日は以前にもブログに登場したすぐ隣の部屋に住んでいるママさんとランチに行きました
そのママさんは3歳の1人っ子女児を育てているシングルマザーさんです
今日はいつものバカ話に加えて「子供の死」について語り合いました
そのママさんは我が子の死はもちろん経験していないのですが、かなり用心深いママさんで普段は子供の事故や事件のニュースを隈なくチェックして自分なりにその事故から何らかの学びを吸収して我が娘への対策に繋げているそうで…。
しかし、どんなに気を付けて用心していようと、誰にでも事故や事件は突然やってきます
万が一、我が子がその被害者になってしまった場合、警察や看護師から「お顔は見ない方が良いと思います」と忠告された場合、どうしますかそれでもまりりんさんは見ますかと質問されました
侑來は病気だったし、お顔も綺麗なままだったからきちんと見る事は出来ましたが、それでもトラウマになってしまいました
元気だった頃とは全くの別人でしたから…顔も身体もまるで氷のように冷たく、生きていた頃の表情とはまるで違う人形のようでした
それがもし、何らかの不慮の事故で遺族に見せるのを医療従事者や警察の方々が躊躇ってしまうようなお顔だったら…私は絶対に絶対に見ません
人って嫌な記憶の方がずっと強く鮮明に残ってしまうのですよね…私は侑來の火葬後のまだ完全に火が消えていない灰の状態を火葬場のスタッフに確認として見せられた時の情景が今でも鮮明に残っていてトラウマです
写真に残したわけでもないのにハッキリと脳裏に焼き付いてしまっているのです…
そのママさんは「私はどんな姿であれ、我が子の顔は絶対に見る。そして謝って抱き締める」と言っていました。それはそれで責任感のあるなかなか凄い事だな、と私は思ったと同時に「そう思っていても実際本当に我が子がそういう形で亡くなってしまったら見れない可能性もあるよなぁ…」と思いました
どんなに強い志や責任感を持っていても、いざ絶望の底に落ちてしまうと、人間の心や精神はそうは強さを保てません
「我が子を失った経験がないママさん」と我が子の死について語る事などあまりない機会なので勉強になりました