9月30日
ナースステーションへ通された私とパパはパソコンの前に座らされ
脳外科の先生という人が自己紹介の後、CTの結果を話し始め
「ご主人と娘さんですか?」
「はい」
「他にご家族が居るなら連絡取って下さい。親戚の方へも連絡取って下さい。」
「まず、これが頭の部分をちょうど輪切りにした状態。どこがおかしいかわりますか?娘さん。」
「右側に白い影があるのですか?」
「そうです。これはね、脳の中で出血をおこしてて、血液が脳を押して圧迫してるんです。こうなると命が危ない。一刻を争います」
あまりの転回にびっくりして 涙が止まらなかった。
肺血栓で入院して
回復してて
あと少しで 足のあたりにできてる血栓もとけてくるって話だったのに。。。
2日前に病室行ったら
普通に話してて
「気をつけて帰りなさいよ」
って何度も言うから
めんどくさくなって
「あぁ」しか言わずにぶっきらぼうに帰って。。
こんなことになるんなら、ちゃんと話して帰ってればよかった。
そう思うとまた 涙が止まらなかった。
「午後からの手術は中止してもらったので、今から緊急オペになります。詳しいことは後で説明するんで、同意書を書いて下さい。」
4枚はあったかな?
とにかく言われるまま
私とパパはサインして渡した。
「申し訳ないけど、髪は剃りますから。かなり切開するかたちになるんで。準備ができたら呼びますから、説明はおかあさんが手術室に入ってからまたします。」
急いで、ママの妹と、ママのお友達に電話した。二人とも、泣きながら、「すぐ行くから待ってて」って言ってくれた。
。。。あたし、いずれはひとりぼっちになるんかな?
パパも まるも いつか居なくなるんかな?
初めて 実感させられた。
ひとりっこの 孤独感。
ひとりはイヤだよ。
コワいよぉ。
どうしよう
ママ。いなくなったら。。
最初に肺血栓で運ばれた時と同じICUに通された。
「準備ができたんで今から手術室へ行きます」
髪は短く剃られ 酸素マスクをされ、頭にはマーカーで切開するであろう部分に大きく線や 印がつけてあった。
パパと手を握ったのは
いつぶりだろう。
手術室までの道のりは
あっという間で。
予断を許さないって
さっと手術室に運んで行かれた。。。
先生が来て
別室に通され、説明をまた始めた。
さっきは すごいコワく、ピリピリした感じがしてたけど
打って変わってやさしかった。
けど、内容はキツいものだった。
「発見が早くてよかったです。娘さんが異変に気づいたの?あと1時間遅ければ、亡くなってましたよ」
「状況は説明したとおりです。生存の確率は半分と思って下さい。助かったとしても、元のとおり回復するとは限りません。今の様子で行くと植物人間になるかもしれません。」
「質問があれば伺いますよ。」
「あのぉ。意識は戻りますか?」
聞いてみた。
「意識が戻るとは、どのくらいのレベルをお考えですか?」
「。。?ぇ。。?」
「まず、『おかあさん』と呼びかけて、それに反応して手を動かしたり、握ったりで第一段階。」
「『おかあさん』と呼びかけて、まばたきする、目を動かす。で二段階」
「『おかあさん』と呼びかけて、声をだすで三段階で、呼びかけて返事ができるで四段階ですが、あなたは この最後の段階のことをおっしゃってますよね?」
「。。。」
「正直 厳しいです。」
「助かったとしても今後のリスクが高いから覚悟しておいてください」
なんとか、助けてくださいと、パパが言ってた。
説明が終わると 待合室に案内され、行くと ママの妹と旦那さんが来てくれていた。
来てくれて、ほんとに心強く ありがたかった。
とにかく落ちつこうと思った。
13時半に手術室に入ってから いつ終わるとわからない時間を待つのはとても長く、おじやおばに迷惑をかけたくないキモチと
パパはもっと 辛いんだろう 私が悲しんでたら、もっと辛いだろうなって思うキモチとで
気丈に振る舞うようにした。
待合室に すぐに先生に伝えに行ってくれた看護師が心配そうに 見に来てくれた。
「大丈夫ですか?まだ、だいぶんかかりそうですね。まさかこんな大変なことになるとは。。大丈夫ですか?」
なんて いい人なんだろう。
わざわざ病棟から離れて来てくれて。
「大丈夫です。ありがとうございます。」
その看護師のやさしい対応がうれしかった。
この看護師さんがすぐ対応してくれたから 今手術してもらえてるんだ。
最初に対応してくれた 看護師が言った
「夜に眠剤を飲ませたから、薬が効いてるんでしょう。お昼くらいには起きるんじゃないです?」
この言葉を信じて
薬が効いてるんならゆっくり寝かせてあげようって してたら
どうなっていただろう。。
それを思うと 恐ろしくなった。
その 9月30日は
私、休みだったのを振替出勤しようかと思ってた日だった。
日付が11日に変わったばかりの夜中にママが倒れて、明け方5時に家につき、棚卸だから、仕事に出るつもりで準備してまた、病院に行ってたけど
チーフが休ませてくれたから
30日の公休は 出勤するって言ったんだけど、
「有休にしてもらい」ってチーフが言ってくれて
申し訳なと思いつつ
休ませてもらって 朝から病院に行ってた
行ってなかったら
どうなってた?
やさしいパパのことだからきっと 何度か起こしても起きなかったら、そのまま寝かせてあげようってなってただろう。
椅子に座って本でも読みながら 起きるの待ってだろう。
いろんなこと思って、
考えてた
4人とも無言で、いつ終わるとわからない手術を待ってた。
外は すごい雨で
肺血栓で運ばれた日も昼頃から雨になった。
空が 今は泣けない私の代わりに泣いてくれてるようだった。
不思議なもので、
今まで忘れてた ちっちゃい時の思い出が
一気に思い出してきて。
ココロが痛くて なんとも言いようのないキモチになって
ぼーっと座って待ってるからいけないんだって思ってみんなの飲み物買いに行ったり
あんまりキツくなったら
トイレで泣いて
顔の赤みが引くまで待って待合室に戻ったりした。
時計を見ると 17時になろうとしてた。
ぱっと 後ろの席を振り返ると
ママの おともだちが来てくれてて
私たちに気づかず座って待ってて
雨の中、来てくれて ありがとう。
ママ おともだちが来てくれてるのわかるかな?
。。。わかるといいなぁ。
さっき 先生が言った言葉「正直厳しいです」が頭をよぎって
意識戻らくてもいいから
助けてほしい
ケンカしても
おこられても
きっついこと言われても。。
やっぱり居ないと困るから。
気づけば 手術室に入って4時間半が過ぎていて
ICUの人が 手術が終わったことを伝えにきた。
処置があるから
先に 脳外科の談話室に上がるように言われて
術後のママの様子を見ることなく 談話室で待った。
時計を見ると 7時になろうとしていた。
脳外科の先生という人が自己紹介の後、CTの結果を話し始め
「ご主人と娘さんですか?」
「はい」
「他にご家族が居るなら連絡取って下さい。親戚の方へも連絡取って下さい。」
「まず、これが頭の部分をちょうど輪切りにした状態。どこがおかしいかわりますか?娘さん。」
「右側に白い影があるのですか?」
「そうです。これはね、脳の中で出血をおこしてて、血液が脳を押して圧迫してるんです。こうなると命が危ない。一刻を争います」
あまりの転回にびっくりして 涙が止まらなかった。
肺血栓で入院して
回復してて
あと少しで 足のあたりにできてる血栓もとけてくるって話だったのに。。。
2日前に病室行ったら
普通に話してて
「気をつけて帰りなさいよ」
って何度も言うから
めんどくさくなって
「あぁ」しか言わずにぶっきらぼうに帰って。。
こんなことになるんなら、ちゃんと話して帰ってればよかった。
そう思うとまた 涙が止まらなかった。
「午後からの手術は中止してもらったので、今から緊急オペになります。詳しいことは後で説明するんで、同意書を書いて下さい。」
4枚はあったかな?
とにかく言われるまま
私とパパはサインして渡した。
「申し訳ないけど、髪は剃りますから。かなり切開するかたちになるんで。準備ができたら呼びますから、説明はおかあさんが手術室に入ってからまたします。」
急いで、ママの妹と、ママのお友達に電話した。二人とも、泣きながら、「すぐ行くから待ってて」って言ってくれた。
。。。あたし、いずれはひとりぼっちになるんかな?
パパも まるも いつか居なくなるんかな?
初めて 実感させられた。
ひとりっこの 孤独感。
ひとりはイヤだよ。
コワいよぉ。
どうしよう
ママ。いなくなったら。。
最初に肺血栓で運ばれた時と同じICUに通された。
「準備ができたんで今から手術室へ行きます」
髪は短く剃られ 酸素マスクをされ、頭にはマーカーで切開するであろう部分に大きく線や 印がつけてあった。
パパと手を握ったのは
いつぶりだろう。
手術室までの道のりは
あっという間で。
予断を許さないって
さっと手術室に運んで行かれた。。。
先生が来て
別室に通され、説明をまた始めた。
さっきは すごいコワく、ピリピリした感じがしてたけど
打って変わってやさしかった。
けど、内容はキツいものだった。
「発見が早くてよかったです。娘さんが異変に気づいたの?あと1時間遅ければ、亡くなってましたよ」
「状況は説明したとおりです。生存の確率は半分と思って下さい。助かったとしても、元のとおり回復するとは限りません。今の様子で行くと植物人間になるかもしれません。」
「質問があれば伺いますよ。」
「あのぉ。意識は戻りますか?」
聞いてみた。
「意識が戻るとは、どのくらいのレベルをお考えですか?」
「。。?ぇ。。?」
「まず、『おかあさん』と呼びかけて、それに反応して手を動かしたり、握ったりで第一段階。」
「『おかあさん』と呼びかけて、まばたきする、目を動かす。で二段階」
「『おかあさん』と呼びかけて、声をだすで三段階で、呼びかけて返事ができるで四段階ですが、あなたは この最後の段階のことをおっしゃってますよね?」
「。。。」
「正直 厳しいです。」
「助かったとしても今後のリスクが高いから覚悟しておいてください」
なんとか、助けてくださいと、パパが言ってた。
説明が終わると 待合室に案内され、行くと ママの妹と旦那さんが来てくれていた。
来てくれて、ほんとに心強く ありがたかった。
とにかく落ちつこうと思った。
13時半に手術室に入ってから いつ終わるとわからない時間を待つのはとても長く、おじやおばに迷惑をかけたくないキモチと
パパはもっと 辛いんだろう 私が悲しんでたら、もっと辛いだろうなって思うキモチとで
気丈に振る舞うようにした。
待合室に すぐに先生に伝えに行ってくれた看護師が心配そうに 見に来てくれた。
「大丈夫ですか?まだ、だいぶんかかりそうですね。まさかこんな大変なことになるとは。。大丈夫ですか?」
なんて いい人なんだろう。
わざわざ病棟から離れて来てくれて。
「大丈夫です。ありがとうございます。」
その看護師のやさしい対応がうれしかった。
この看護師さんがすぐ対応してくれたから 今手術してもらえてるんだ。
最初に対応してくれた 看護師が言った
「夜に眠剤を飲ませたから、薬が効いてるんでしょう。お昼くらいには起きるんじゃないです?」
この言葉を信じて
薬が効いてるんならゆっくり寝かせてあげようって してたら
どうなっていただろう。。
それを思うと 恐ろしくなった。
その 9月30日は
私、休みだったのを振替出勤しようかと思ってた日だった。
日付が11日に変わったばかりの夜中にママが倒れて、明け方5時に家につき、棚卸だから、仕事に出るつもりで準備してまた、病院に行ってたけど
チーフが休ませてくれたから
30日の公休は 出勤するって言ったんだけど、
「有休にしてもらい」ってチーフが言ってくれて
申し訳なと思いつつ
休ませてもらって 朝から病院に行ってた
行ってなかったら
どうなってた?
やさしいパパのことだからきっと 何度か起こしても起きなかったら、そのまま寝かせてあげようってなってただろう。
椅子に座って本でも読みながら 起きるの待ってだろう。
いろんなこと思って、
考えてた
4人とも無言で、いつ終わるとわからない手術を待ってた。
外は すごい雨で
肺血栓で運ばれた日も昼頃から雨になった。
空が 今は泣けない私の代わりに泣いてくれてるようだった。
不思議なもので、
今まで忘れてた ちっちゃい時の思い出が
一気に思い出してきて。
ココロが痛くて なんとも言いようのないキモチになって
ぼーっと座って待ってるからいけないんだって思ってみんなの飲み物買いに行ったり
あんまりキツくなったら
トイレで泣いて
顔の赤みが引くまで待って待合室に戻ったりした。
時計を見ると 17時になろうとしてた。
ぱっと 後ろの席を振り返ると
ママの おともだちが来てくれてて
私たちに気づかず座って待ってて
雨の中、来てくれて ありがとう。
ママ おともだちが来てくれてるのわかるかな?
。。。わかるといいなぁ。
さっき 先生が言った言葉「正直厳しいです」が頭をよぎって
意識戻らくてもいいから
助けてほしい
ケンカしても
おこられても
きっついこと言われても。。
やっぱり居ないと困るから。
気づけば 手術室に入って4時間半が過ぎていて
ICUの人が 手術が終わったことを伝えにきた。
処置があるから
先に 脳外科の談話室に上がるように言われて
術後のママの様子を見ることなく 談話室で待った。
時計を見ると 7時になろうとしていた。