こんにちは。
未だ思考をまとめきれていないのですが、今の率直な気持ちを書き留めておきたいのでポスティングします。
私が中日ドラゴンズを応援していこうと決めた2010年〜の守り勝つ野球。
その言葉を大いに担い、輝いていた三人。
それぞれにそれぞれの思い入れがあります。
ですが、今回ソースがはっきりしているのが浅尾だけなので、
まずは浅尾について書こうと思います。
私の浅尾拓也という素晴らしい選手との出会いは、2010年でした。
2010年、まだ野球にそんなに興味が無かった私が行ったマリンスタジアム。
もう風は秋のそれで、海っぺりのマリンスタジアムはとても寒かったのを覚えています。
五時間近い試合を制したのは中日ドラゴンズで。
少し青ざめた様な、白い顔で気迫を見せ続ける浅尾にはっとした。
最後、岩瀬が抑え勝ったときの安堵の表情。
長い試合が終わって、電車が無くなるのが分かっていても、ヒーローインタビューの画面から目が離せませんでした。
この年は、今の中日ドラゴンズのマスクをメインで被る松井雅が入団した事もあり、翌年も何となく気にするように。
しかし、まだ今程球団への情熱はまだ持っていませんでした。
私が今でも、何試合観てもどうしても忘れられないワンシーンがあります。
2011年、横浜での試合。
岩瀬が不調に陥っていたドラゴンズを支えたのは間違いなく彼でした。
ここ最近の試合のように連敗を喫した後の試合で、プレッシャーは相当な物だったと思います。
意志の強い瞳で一球一球投げる浅尾を、固唾を飲んで観ていました。
抱き合った谷繁と浅尾を見て、この球団を応援していこうと決めた。
あの日から七年が経ちました。
大輪の花火のように、しなやかに強く、そして美しい。そんな誇らしい選手だと思います。
最優秀選手、ゴールデングラブ賞、最優秀中継ぎ選手。
輝かしい記録を、そしてあのときの中日ドラゴンズを創ったのは間違いなく浅尾でした。
翌年2012年からの長い間、苦しい期間が続いたと思います。
それでもひたむきに頑張り続ける浅尾を、もう一度。もう一度だけ。とどれほど願ったか。
昨年の記録樹立時の、本人の苦しそうなコメントがとても辛くて…。
だからこそ、今年また少し調節して投げてくれたのが嬉しかった。
その矢先だったので、今も心の整理が正直ついていません。
中日ドラゴンズ以外には絶対に入団しない、と固い意志で選んでくれた。
いつもキャンプ時に全てのファンの要望に応え、いつだって礼儀正しく決して驕らず努力し続けた。
中日ドラゴンズを愛し、何よりもファンを喜ばせる事を考えてくれていた、浅尾。
太く短い現役時代を、中日ドラゴンズで過ごして幸せだったでしょうか。
浅尾が守った中日ドラゴンズを、あの中日ドラゴンズを、私はもう一度観たい。
そして沢山のファンサービスのお返しに、今後の浅尾を応援したい。
どれほど感謝しても足りないけれど、最大級の賛辞を浅尾に贈りたいです。
私にとっての中日ドラゴンズを担う選手でした。
本当にありがとう。
そして、貴方が創り上げたあの中日ドラゴンズを、失わないようにファンが守りたいです。
ななみ