タイトル通り、現代において言論は暴力よりも強く、怖い。
新潮45の内容とそれに反抗するTwitterアカウントが今話題だ。
本の内容は性的マイノリティを痛烈に差別する内容、性犯罪者擁護する内容。
そして今、その本を糾弾するツイートを新潮文芸のアカウントがリツイートしているそう。
該当の本に文章を寄稿している小川榮太郎は伝統保守主義を主張し問題の主張を載せたそうだが、
保守主義の概念を取り違えて、よくここまで異質な思想を持てたなと感動まで覚えてしまう。
本来保守主義という物は正義や秩序を守るためのある種自然な思想であり、
全ての変化を拒み切り捨てる考えではない。
痴漢をはたらく犯罪者を擁護するのが正義を守る考えだと言うのだろうか?
この寄稿文でどれほどの性犯罪被害者が恐怖を覚える事だろうか。
犯罪を助長する内容を出版物に載せられるセンス、知性が全く無いのだろう。
そもそも皇太子殿下、ご退位なさいませなどと載せた本が保守を主張する事自体が甚だしい。
自身の崇高な思想を出版物で語るのであれば、少しは過去の物も読むべきである。
杉田水脈氏の文に関しては、言うまでもない。
言葉にする事すら莫迦莫迦しい。
生産性が無いと氏は文章で語っているが、はたして産み落とす事だけが生産性だろうか?
彼女の主張通りにカテゴライズするなら、養子を迎え育てるLGBTの夫婦は非生産的なのだろうか?
氏の発言は、多くの人間の人権を無くし、その存在を否定する最低なそれである。
人間の生きる理由は単純な人口を増やす生産性だけではない。
お互いにお互いを尊重しあい、愛し合う事で生まれる神秘はこのような下らない人間に否定されてはならない。
なでしこ復活などと発言しているが、美しい万葉集で表現されたこの形容詞を莫迦莫迦しい内容の自著のタイトルに使うそれが彼女の傲慢さを体現している。
ひとの愛は撫子のように可憐で思慮深い。
その想いを生産性が無いという一言で無下にすることを、赦してはならないと私は思う。
かさねて阿部政権を批判するのはまた違う問題だと思うが、此の様な危険思想の人物を放し飼いにしておいてはならない事だけは間違いない。
この問題提起を新潮文芸アカウントが行った事に対して多くの人間が賛同している姿を見て、
今の日本には言論の自由が確かに存在する事を実感する。
莫迦は放っておくべきだとも思うが、一連の件に関してはそれに該当しないだろう。
たかが炎上商法だとこの件を素通りしてはならないのだ。
多くの人間がこの間違いを主張し、一刻も早く美しさを取り戻せる事を祈る。
文学という美の復活、そしてこの問題に心を痛めている我が愛する親友のために。簡易的ではあるが、この文章を投稿する。
Punkは反骨的だがクレバーだ。
反旗を翻す新潮文芸アカウントを支持します。
ななみ