本日祝日も守谷は営業、今日は昼のみの変則だったけど。
着いたら店外待ち0 店内6名比較的すいててラッキー
さっぱり食いたくなり
小つけ麺 麺少な目 トッピングはなしで
少な目体感茹で前350gくらいかな
ブタ脂身少なくさっぱり スープもさっぱり
胃弱なのでこれがいい
守谷二年ほど前から麺もマイナーチェンジ、つけ麺冷水で〆、ゴワゴワ感ないのですが
腰強く小麦風味強くなりました。あーもう食いたいよ(^^♪
足りない、うまい
しかし単なる小にすると体感つけ麺の場合茹で前450~500(博多ラーメンで替え玉
7回以上かな、笑)になるので悩ましいところです、笑
さて今日はちゃんと書こう。
日本史上最高権力者で唯一天皇の地位を望んだ男 ご存知足利義満です。
義満は年少で将軍職になり、しばらくは管領細川氏が実権を握る。
その後斯波氏など反細川が幕府を包囲(おそらく圧力かけた程度だったと僕は
思っています)、細川頼之が管領を罷免、斯波氏に代わる、が一年後頼之も幕政に
復帰という不思議な経緯をたどる。頼之は義満の烏帽子親でもある配慮かもしれないが
これ義満が有力御家人への権力集中を避ける為、一連の事件が起こったということかな。
この時義満おそらく21歳、天才的政治センスの片鱗をうかがわせる。
室町幕府というか足利本家の直轄領は200以上の荘園で構成され、主流説では30~50
万石といわれるが、僕は200万石以上かと考えている。お側衆10000人から35万石という
ことはないでしょう。そもそも栃木の足利荘など鎌倉の有力御家人時代にその程度はあった
当時としては最大級の領主だったのです。・・・太平記などの記述はともかく、当時のこの石高
はもちろん破格、動員兵力の記述などから新田氏が15~20万石程度(含む支族の山名里見
など)楠氏が5~10万石程度、各豪族もさほど大きな勢力にはまとまっていなかったようです、
ただ200万石といっても、平安時代というか実際は壬申の乱あたりからですが、各荘園の支配形態自体
が一元化されておらず、一つの荘園で上から摂関家 源氏など軍事貴族 地元の豪族 あるいは
その中間にまだいて、そいつらが土地の年貢をちょっとづつ分配していた。
これが保元平治の乱、源平合戦、承久の乱 元寇のときの西国荘園からの幕府直接の兵糧徴収
などなどで簡素化はされてきたものの、一元的土地支配が定着した江戸時代石高の半分以下の
実力、実入りと考えるべきでしょう。室町幕府単独での兵力動員数は全盛期で3万程度かな?
これで絶対的権力を義満は手中にしました。
政治の天才義満だからこその、室町最盛期だったのです。
V!!






