つけ麺ハゲ 荘園寄進の実態は? | ラーメン二郎とNWA世界ハゲでぃすりチャンプブル二郎のブログ

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味含め辛口ですが、ブログ主の主観です。

ハゲだー!!

いつもながらの見事な半熟(^^♪

守谷でつけ麺 気温下がってとっても快適、この程度ではまったく寒さ感じないし。

小つけ麺 ゴマ風味 野菜脂 ハゲ

麺ほんとの半分になってたし、おやつにいいね(^^♪

 

こっちが超大当たり、うまかったなー(^^♪

 

たまにはつけ麺もいいねー(^^♪

知恩院庭園ライトアップ

借景と水に映る観音像、これも退廃的雅文化のたまものですね(^^♪

9世紀初頭は公家で中納言でもあった坂の上田村麻呂が東北おそらく現在の宮城県

仙台市や多賀城市(多賀城柵とかいうお城もあったようです、仙台から利府市多賀城市

あたりに蝦夷の大根拠地があったのでしょう)に自ら征夷大将軍となり遠征したり、天皇

や上皇が兵を募ったり、実際に戦闘も含め実務を直接行っていたようです。

実務は穢れるからという感覚で段々軍事的掌握も放棄していくのは、10世紀後半以降

でしょう。

教科書には公地公民制で例外的に新規墾田だけ私有が認められたなどの真っ赤な嘘が

書かれているようですが、実際は中央政府の高官たちも自ら領地をもち、軍事力ももって

いたわけです。

10世紀半ばまでは、各地で貴族同士の小競り合いもあったはずで、荘園寄進は軍事力の

バランスと中央政府での立場との兼ね合いで行われる各貴族たちの領地の奪い合い、これが

実態だったのでしょうね。

死刑が340年なかったのは、平安京の中だけの話です。

摂関政治全盛期にはこの様相が変わることになりますが、

セクキャバいきてーよー!!

ゆ○つっこみたい

V!!