母娘韓国旅行の最終日の2日前に、義理の父が亡くなったと悲報が届きました。

肺癌で、3〜6ヶ月の命と言われていたのですが、年を越せるかもしれない、クリスマスを一緒に迎えられるかもしれない、と願っていました。

自宅で、ホスピスのナースに時々来てもらっていましたが、亡くなる2〜3日前から自力でトイレに行くのが難しくなり、本人の希望で病院に入った次の日に亡くなったそうです。

14〜15年前に、とても珍しい、ファイバー質の物が、臓器の周りにつき、コンクリートの様に固まるという病気になり、その硬くなったファイバーを臓器からや臓器の一部と共に取り去る、長い時間のかかる手術を何度も乗り越えていました。

4〜5年前に、足の血栓がひどくなり、足が痛い痛いと訴えていて、左の足の膝下から切断したのですが、無いはずの足が痛くて悩まされていました。

その後、やっと傷が癒始めた頃に、同じ足を膝上から切断となりました。

コンピューター内蔵の、凄い義足を🦿作ったけど、腰が痛くて、良い義足は重たくて使えず、シンプルな軽い義足に変えて、1年もたたない今年の初夏に、咳と共に血がでて検査となり、肺癌と言われました。

物凄いヘビースモーカーで、肺癌末期でも煙草をスパスパと吸っていました。

旦那がコンサートツアーに行くか悩んだ時も、自分の死を待って時間を無駄にせず、それぞれの行動を制限せず、行きたいところに行き、やりたい事をして人生の時間を有意義に過ごしなさいと言っていました。

旦那が8歳の頃にお母さんが再婚したのですが、その時の義理の父の年齢は、わずか21歳!

突然、旦那と旦那の妹と2人の父親になって、その後、弟2人が生まれ、若い軍人の給料だけでは生活も苦しく、夜はコンビニでアルバイトなどしながら、子ども達を育ててくれたお父さんです。

お父さんが好きだったのは、アイスクリーム、マクドナルド、サラダはパイナップル🥗入りサラダ、そしてチョコレート、毎回、日本からのお土産は、必ずロッテのアーモンドチョコレート!

11月にも、日本からののお土産に渡した、アーモンドチョコレートの大袋2つも全部食べたそうです。

今回の韓国旅行でも、お父さんのお土産に、アーモンドチョコレートを何箱も買ってありました。

韓国から戻ったのは、水曜日の午前1:30頃、疲れていたので眠れましたが、親戚の人が我が家にも泊まるので、ゲストベッドルームのシーツを洗ったり、大忙し!

午後には、旦那のお母さんや家族や既に集まっていた親類などと時間を過ごし、もうヘトヘト!

自宅に帰ってからも、我が家に泊まる叔父さんと、遅くまで話し込んでしまいました。

翌日はお葬式のセレモニー

アメリカ軍所属者や退役軍人のみが埋葬されるアメリカ軍のお墓です。


1日に25人のセレモニーが開かれます。





失礼かと思ったので、セレモニー中は、写真を撮らなかったので、撮った人から転送してもらった画像です。



義理の父は空軍だったので、アメリカ空軍の正装をした兵士たちが、、霊柩車から棺を移動。



 

全員の動きが見事に揃いながらの動きでした。


映画で見た事ある兵士のお葬式の様に、この後に、ライフル銃を持った空軍の正装を着た兵士達3〜4人が、パンパンパンと、ライフル銃を撃ち、下の孫娘が、ビックリして、泣いちゃいました。


2度目の銃砲の時は、泣きませんでした。




棺にかぶせてあるアメリカ国旗を、まるでお茶の時に帛紗を畳む様に、決まった動作で上手に三角形に畳んでいきました。




そして、義理のお母さんに進呈。




セレモニーは30分、夕方に棺が埋葬されますが、家族は見る事は出来ません。




セレモニーの翌日に、義理父のお墓を見に行きました。


広くて、セクション番号、列番号が分かっていても、探すの大変でした。


まだ墓石も無く、芝生もひかれていませんでした。




軍人のお墓なので、配偶者が先に亡くなった場合は、軍人さんが亡くなるまでは、一緒に埋葬してもらえないそうで、それまで遺灰にして持っているか、既に別のお墓に埋葬してある場合は、掘り起こして夫婦一緒に埋葬するそうです。


夫婦で入る場合には、同じ墓石の反対側に配偶者の名前が掘られます。


旦那元軍人なので、希望すれば、私たち夫婦も、ここにお墓を持てますが、旦那は軍のお墓には入る気はない様です。


私は、日本とアメリカの間の太平洋に散骨してもらってもいいやって思っていましたが、残された子供達が、話がしたい時に会いに行く場所を作ってあげた方がいいのかなぁ〜と思い始めています。