【 無有願論(有願と無願)】
算命学の高尾先生の教え
人間は、まず有願を燃焼しないと無願にたどり着かない。
無願に辿り着くまでは30年40年という長い年月が必要だ、という理論。
20年、30年、40年と、長い年月をかけて、環境によって生まれた願望(有願)を燃焼(消化)すると、 そこに初めて自分の心の中から「真の夢(本当の自分)」が現れます。
その長い年月の中では、苦しんだり、我武者羅だったり、満足することもあったり、様々な経験をして、様々な思考が起きながら懸命に生きる姿を、天の神様は見てくれているそうです。
そうして無願へ移行していくその頃には、天の神様の手助けや導きがあって、スーーーっと背中を押されて・・・
そうして人間が無願の領域に入れば、信仰心や霊感など無くとも、神の力や神の存在に気付くようになります(人間の煩悩が無くなるような感じなのかも)という説。
●有願とは:自分の生まれもった本質ではなく(自分そのものから生まれてくる願いではなく)環境や境遇によって、他力的な力が加わったことによる欲求不満から生まれてくる夢や願望のこと。
●無願とは:自分の生まれもった本質から生まれてくる願望(命式内にヒントは在る)
人間は、いつでも夢を見たり、希望を抱いたりします。
痩せたいなー
可愛い服が着たいな―
お金持ちになりたいな―
モテ期こないかなー
テストで満点とりたいなー
試験に受かると良いなー
あの人と付き合いたいな―
モデルさんみたいになりたいなー
歌が上手くなりたいな―
ダンス踊ってみたいなー
美味しいもの食べたいな―
などなどなどなど・・・
キリのないほど、小さなものから大きな物まで、日々の夢や希望、願望があります。
これは「欲求」なんですよね。
有願の場合は、それが生まれ育った環境から形成される願望、つまり欲求不満となっているモノコト。
その欲求不満を自分で満たしてあげないと、その先の人生には辿り着けないよってこと。
小さい頃の環境によって抱いた欲求不満を満たしてみると
「あれ?これ、本当に欲しかったものだっけ?」
「あんなに欲しかったものなのに、あまりしっくりこないな・・・」
そんなふうに思い始める
「じゃあ、本当に欲しかったものは何?」
「どんな人生が良かったのかな?」
「これで本当に幸せ?」
え?これなの!?本当に!?って気づき始めて、
これじゃないんじゃない!?って、次の夢(ステージ)に行くまで20~40年も掛かるよって話。
もし先に、自分の本質や心、本当の願望を、占いや命式で知ったとしても
それはきっとピンとこないだろうし
結局やっぱり、自分の有願を満たしてからじゃないと「あー!こういうことか!」とは気付けない。
だからね、娘にもアレコレ言うけれど
結局は、娘が今したいこと、手に入れたいモノコトを
ぜーーーんぶやってみたらいいし、ぜーーーんぶ手にしてみたら良いと思ってる。
今、私がアレコレ言っても、それが分からないのは
娘が有願を燃焼させてないからんだよね。
結婚もしてみればいいし
仕事もバリバリやってみたらいいと思う
いろんな想いもしたらいいし
いろんな経験も感情も、たくさんしたら良いと思う。
それであと20年くらいしたら
「昔ママが言ってたこと、あのときは、なにそれ!?分からんわ、、って思ってたけど、最近それが、なんと無く分かるんだよね・・・」
なーーーんて言ってきそうな気がしてるーーーー!笑
この無有願論
実は、道子は、徐々にハッキリと感じ始めているんですよね・・・
いや、ここ最近に始まったことじゃなくて
もう10年以上前に、そこに気付き始めちゃって・・・
そこからは、なんだかあれよあれよと導かれてるんですよね。
私は、とにかく貧乏な家に生まれ育ったことが、本当にイヤだった。
だから絶対に「金持ちになりたい!」と思っていたし
過酷過ぎた家庭環境も、イヤとか言うレベルを超えるほどイヤだったから
だから絶対に「幸せな家庭(家族)を築きたい!」と思っていました。
どんなことが金持ちなのか
どんな様子が幸せな家庭なのかは全く分かってなかったし
全ては漠然とした願望で、全ては勝手なイメージでしかなかったです。
その世界を知らないんだから仕方ないし、だから有願であって経験して満たしてみないと分からないんだよね。
あとは、小さい事で言えば、我慢させられていたことや、やってみたかったこと、着てみたかった服装とか
物欲も凄くて、今思うと、そんなにいる!?って思うくらい買ったり
ちょっと買い物依存症みたいになったときもあったなー・・・
とにかく抑圧されて育ちましたから
その全てを解放しちゃった感じで
やりたい放題やってみた
でも、それも心ゆくまで満たしてみたら
なんか虚しいというか、大事にしなかったし
手に入れて満足しちゃってた。
どんどん心が空っぽになっていくっていうか・・・
家族に関しても、前の結婚生活で手に入れてみたけど(言い方おかしいかもしれないけど、この説を解くにはこうなる。)
ずっとずっと「なんか違う・・・」っていう気持ちが、ずっとあった。
家族5人六畳一間で暮らしていましたから、それもイヤでイヤで、すごくコンプレックスだったから、必然と夢は「二階建てのおうちに住みたい」て。
だから、おうちも前夫に買ってもらって
このあたりでは、かなり小さな頃の欲求不満は満たされていました。
でも、なんか違う感は、ありましたね、、、
欲しかったものじゃん!
これでいいじゃん!そう言い聞かせている自分もいました。
「なんか違う・・・」
「これでいいんじゃん!」
と、常に自分に言い聞かせては、その狭間で揺れ動く自分がいて、とっても苦しかったなー・・・
徐々に「本当にいいの?このまま人生終わって良いの?」みたいな気持ちのほうが、どんどん強くなっていって・・・
それからは、流れに流され導かれ、イマココ状態。
そうこうして滋賀での暮らしにも大分と慣れた頃
この先どう生きていこうかな―って思っていたとき
算命学に出会って、自分の命式を知って、自分の星を知って
最初こそしっくりこなかったけど、今となっては
「こういうことだったのかー!」って
欲求不満を満たしていたあの頃よりも、もっともっと何十倍も何百倍も心がずんずん満たされていくのを感じています。
これが、無願か・・・!と思うこともありますが
私は今「変剋律」の最中でして・・・
これが終わると、本当になにもない時代(癖の無い運気)に入るんですよ。
あと数年です!
そのときに、その時代に入った自分がどうなるのか
どんな心の在り方になるのか
それが今から、めちゃくちゃ楽しみなんですよねーーー!
なんせ生まれた時から大運天中殺だし
そもそも宿命天中殺があるものの
癖が無い時代は、やっとやっと初めて味わうから
どうなるのかなーーーーって、早く時が経って欲しい♡
もしかしたら占いもパッと辞めちゃうかもしれないし
もしかしたら滋賀からいなくなるかもしれないし
もしかしたらまた1人になるかもしれないし・・・笑
全く分からない!
けど、どうしたいとか、どうなってると良いなとかもなくて
ここはもう、なるようになるだろうし、その時が来てみないと分からないなーって、楽しみを取っとおいている感じです。
だってもう、そこは「有願」じゃないから☆彡
みなさんは、今どのあたりですか?
まだ有願を消化している感じ?
それとも無願の域に入った?
自然の法則は、人間の内に宿ったエネルギーを諸々の形で燃焼させ、その燃焼がある次元に達すると無駄なものが取り除かれ新しいエネルギーと化す、つまりエネルギーの核が残ることになるのです。
このエネルギーの核から発せられた無願は、小さな分量でも有願の何十倍か何百倍かの威力を有します。
そして無願の域では、どんな環境に置かれても、それによって考えや人生観が変化することは無く、常に不変の心を持つことになるのです。
この核は更にある一定の次元に達するとまた新しい核を生み出し、また新しい無願を作り出しながら魂(核)の成長を遂げてゆくのです。
無有願論を知った人の中には、それならば人間がいち早く何らかの方法で自己の本質(願望)を知ることができれば、無駄な人生を歩まなくても良いかのように思われるかも知れません。しかし、無有願論は一足飛びの人生を厳しく戒めています。
どのような人も「有願」を通過しないで「無願」の世界へ入ることは出来ず、一足飛びに無願の世界へ到達しようとすれば、おそらく永久に有願の世界を脱却することは出来ないでありましょう。(有願の世界で彷徨い苦しむことになる)
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