「かといって様式美に耽溺し踏襲する事に何の意味があろうか。
そんな行為は虚無への供物とも云い得る儀式に過ぎない。
ある時期においてそれは愛おしい素敵な庭ではあるけれども!
あらかじめ誰かに作り上げられた世界に共鳴し、
そこに自らと同じ血を感じるのであればむしろ、、
私は私の人生の当事者である事を回避してはならない。
うかうかしてると咲いたカルチャーは私の中で
枯れちゃう。 」


姉の踏んだその韻は奇しくもチバユウスケの歌詞と同じで。
この世で最も尊敬すべきである人たちに同じことを言われた気分で。
愛する人の写真に目を背けたくなるほどにその啓示に心を打たれる。


「尊敬する人たちに諭される自分」も庭の中の存在であることに気づきながらも、涙が出そうになる。

二日連続で社会の俗と言う毒に身を浸し、欲求を解消することでソレを忘れ、
先例踏襲なやり方で青春をすり減らし先例踏襲な宗教的憧れに於いて反省する。


全く私は一生姉の庭から抜け出せる気がしない。そこに居られるうちは例え枯れても幸せ。

その一例。
高圧的な人が好きなのは父親の影響だと思ってた。
でも今日彼氏の人を小ばかにしている生き様を目の当たりにし、
私はその人に姉の影を見る。
そうしたら余計に愛しく感じてしまうのも私が姉の庭に居る証で。


そう思うことに危機感を感じないのは私は私の人生の当事者じゃないから。
姉を崇拝することで責任すらも姉に押し付けている。先に生まれているからと。
そう思っている限り私と姉は肩を並べることはないし、私は姉を救うことができない。


でも私は広がっていく色とりどりのその庭から私はもうずっと抜け出せないで居る。
だからあなたを愛しているのは私ではなく欲望なのかもしれないね。