茨城県阿見町の「予科練平和記念館」に行って来ました。

いつも今頃になると、戦争を知らないからこそ、知る為に行っています。


あいにくの天気で、どんよりとした空。奥の白い建物に、零戦の実物大のレプリカがありますが、天候が悪い為公開されていません。


予科練とは、旧海軍飛行予科練習生の略で、航空機要員養成の為、主に少年から志願で採用された。

館内は撮影禁止の為、画像はありません。
少年達の志願理由は様々で、父親が軍人だったり、飛行機が好きで志願したり、食べ物に困るほど貧しくかったから等。

身体検査や簡単な筆記試験等を受け、少年達は勉学に励む。
今で言う、「国語」「算数」「理科」「社会」等の授業の他、モールス信号等の無線機、飛行機、敵戦艦の特徴等の様々なこと学ぶ。

週に一度は外出し、仲間達とお汁粉や饅頭を食べたり、故郷からの手紙を読み返事を書いたりした。

その後、本格的な飛行訓練に入り厳しさが増す。
ちょっとしたミスが、重大な事故に繋がる為に時には制裁を受けることもあった。

次第に戦況は悪化、志願を募り特別攻撃隊を編成。
「神風特別攻撃隊」いわゆる「特攻隊」のこと。
神風(しんぷう)と呼ばれていたが、神風(かみかぜ)と変わった。

予科練生のほとんどが神風特別攻撃隊として出撃し、多くの若者達が帰って来なかった。

10代後半から20代前半の若者達が、訓練中の事故や体当り攻撃で1万9000命が消えた。

体当り攻撃でモールス信号を送り、その音が消えた時に突撃したことになる。

特攻隊員の中には、出撃前に故郷の空を飛び出撃した隊員もいた。

ちょっと、暗く重い感じになってしまいました。
でも事実。

予科練平和記念館の隣は、陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地・武器学校があり、その敷地内に「雄翔館」がありそちらにも行って来ました。

予科練平和記念館に展示されている「回天」。
一人乗りの潜水艇。
人間魚雷とも言う。
ドラマの撮影に使われた後に寄贈された。

霞ヶ浦駐屯地内へ。

戦車等が並ぶ。
こういうものは、実戦で使用されることなく用途廃棄になることが一番。

山本五十六。
最後まで、アメリカとの戦争を反対した。

館内は撮影禁止。
出撃した人達の直筆の手紙や、搭乗していた機体の一部等展示されています。

雄翔館の隣にある広場。

どんな思いで出撃したのか、どんなに考えても想像しか出来ない。

いろいろと考える1日でした。