前回の予告どおりに、茨城県阿見町の予科練平和記念館に行って来ました。

毎年、今くらいの時期に行くことにしています。戦争を知らないからこそ、知らなければいけないと思って行くことにしています。
入館する時に、検温と氏名、連絡先を記入。
館内は撮影禁止ということで、画像はありません。
「予科練」とは何か?
「海軍飛行予科練習生」及びその制度の略称。
昭和5年に教育を開始し、14才半から17才までの少年を全国から試験で選抜し、搭乗員としての基本訓練をするもの。
飛行予科練習生制度が始まってから、終戦までの15年間で約24万人が入隊し、うち約2万4千人が飛行訓練生課程を経て戦地へ。
特別攻撃隊として出撃したものも多く、戦死者は8割の約1万9千人にのぼる。
(パンフレットから一部抜粋)
入隊から厳しい訓練、ちょっとしたあいまに家族に手紙を書いたり、そしてまた訓練の日々が続く...。
次第に戦況は悪化し、体当り攻撃が始まる。
有志を募り、名乗り出た隊員が出撃した。
「神風特別攻撃隊」
(しんぷうとくべつこうげきたい)
と呼ばれていたが、
「しんぷう」から「かみかぜ」と呼ばれるようになる。
有志を募ったが、名乗り出るものがいなくなり、「命令」に変わっていく...。
直筆の手紙や遺品等が展示され、予科練と特攻の作戦のかかわりについて紹介されています。
十代後半から二十代前半の多く若者達が、太平洋に散っていった...。
「特攻は洗脳だ。」
という人がいますが、私はそうは思いません。
自分の体当り攻撃が、戦況を変えることを信じて、親兄弟が平和にくらせる日がくると信じて、出撃していったと思います。
逃げ出した隊員を強制的に、再教育した施設があったと聞いたことがあります。
記念館を出る頃は、涙でボロボロです。
次は、記念館の隣の陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地武器学校にある「雄翔館」へ。
こちらも、検温と氏名、連絡先を記入。
慰霊碑

今回はここまで。













