前回の予告どおりに、茨城県阿見町の予科練平和記念館に行って来ました。

毎年、今くらいの時期に行くことにしています。戦争を知らないからこそ、知らなければいけないと思って行くことにしています。

到着したのは9時ちょっと過ぎで、駐車場は思ったよりがら空き。

早速、撮影。

零式艦上戦闘機21型の実物大模型。ゼロ戦と言えばわかりますね。ただ、レイ戦と呼ぶのが正しいのかな?

記念館の外観。

早速、入館...と、思ったら職員の方が、
「予約はしていますか?」
私は
「していないです...。」

コロナ感染予防の為に入館制限を15名にし、1時間で入れ替えをするということで、諦めて帰ろうとしたら、「予防なしでも入れます。」ということで、整理券をいただき待つことにしました。

その間に、撮影。
一人乗りの潜水艇「回天」
簡単にいうと一人乗りの魚雷で、敵艦に体当りして攻撃する。
もちろん、帰ってくることはない...。

入館する時に、検温と氏名、連絡先を記入。

館内は撮影禁止ということで、画像はありません。

「予科練」とは何か?

「海軍飛行予科練習生」及びその制度の略称。
昭和5年に教育を開始し、14才半から17才までの少年を全国から試験で選抜し、搭乗員としての基本訓練をするもの。
飛行予科練習生制度が始まってから、終戦までの15年間で約24万人が入隊し、うち約2万4千人が飛行訓練生課程を経て戦地へ。
特別攻撃隊として出撃したものも多く、戦死者は8割の約1万9千人にのぼる。
(パンフレットから一部抜粋)

入隊から厳しい訓練、ちょっとしたあいまに家族に手紙を書いたり、そしてまた訓練の日々が続く...。
次第に戦況は悪化し、体当り攻撃が始まる。

有志を募り、名乗り出た隊員が出撃した。
「神風特別攻撃隊」
(しんぷうとくべつこうげきたい)
と呼ばれていたが、
「しんぷう」から「かみかぜ」と呼ばれるようになる。

有志を募ったが、名乗り出るものがいなくなり、「命令」に変わっていく...。

直筆の手紙や遺品等が展示され、予科練と特攻の作戦のかかわりについて紹介されています。

十代後半から二十代前半の多く若者達が、太平洋に散っていった...。

「特攻は洗脳だ。」

という人がいますが、私はそうは思いません。

自分の体当り攻撃が、戦況を変えることを信じて、親兄弟が平和にくらせる日がくると信じて、出撃していったと思います。

逃げ出した隊員を強制的に、再教育した施設があったと聞いたことがあります。

記念館を出る頃は、涙でボロボロです。

次は、記念館の隣の陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地武器学校にある「雄翔館」へ。

こちらも、検温と氏名、連絡先を記入。

駐屯地内と言っても、入ることは可能です。

フェンスの向こうに並ぶ戦車。

山本五十六元帥像。 アメリカに留学の経験があり、アメリカとの戦争を反対し続けた。
「アメリカとの戦争になれば、3~4年で日本は負ける。」
と言っていたらしい。

雄翔館

館内は撮影禁止で画像はありません。
直筆の手紙や遺書、遺品等が展示されています。

雄翔園。

慰霊碑

終戦から75年たった今、コロナウィルスになんて負けていられませんね。
コロナウィルスを撃滅せよ!

予科練平和記念館を出て移動。

霞ヶ浦には、旧日本軍跡地の海軍飛行隊スリップ跡地。
水上飛行挺の陸上げする場所かな?数年前は静かなところでしたが...。
ばか騒ぎする輩で埋め尽くされていた...。
立ち入り禁止の場所ではないのかな?

鹿島海軍飛行隊跡地。

記念碑を発見。 5~6年ぶりかな?ここに来たの...。

今回はここまで。