前回の続き。 


新館です。入館料は500円で館内は撮影可能です。詳しくはスタッフに聞いてみてください。

大和は当時の日本にとって特別な戦艦で、当時日本は貧しい国だったので、「どうせ造るなら立派な船を造ろう。材料から一番いいものを選び、他国にない、負けない船を造ろう。」と、建造されたそうです。
こちらは、特攻隊員が文通相手の、女学生に送ったペンダント。
文通の数は200通で、特攻隊員と女学生は一度も会ったことはない。
現地で手に入る材料(爆撃機の風防ガラス)で作ったもので、このペンダントが入った手紙が最後になった。一つが二人のイニシャルの入ったハートのペンダントで、もう一つが特攻隊員が搭乗する戦闘機を型どったもの。画像ではわかりませんが、ガラスを削って作っているのに角が丸い。ペンダントを贈られた女学生は、毎日のように手にとり帰って来ることを、会えることを望んでいたのかもしれません。

こちらは、花嫁の写真。撮影するのに躊躇いましたが、実際にあったことなので撮影しました。
花嫁の隣には、花婿の遺影。
特攻隊員の許嫁は出撃を見送った後、隊員の実家で写真と結婚式を挙げた。

特攻隊員達がなぜ、敵艦に突撃したことがわかったのか?突撃した瞬間を見た人がいるのか?なぜわかるのか?
予めモールス信号を決めていて、何を見て、何をするかをモールス信号を打電(送った)した。
例えばモールス信号のイロハで、
イの信号は、「我、敵艦発見ス」
ツッツー、ツッツー、ツッツーと打電。
ロの信号は、「我、敵空母発見ス」
ツッツーツッツー、ツッツーツッツー、ツッツーツッツーと打電。
次に何をするかを
ハの信号は「我、敵艦突撃ス」
ツーツッツッツッ、ツーツッツッツッ、ツーツッツッツッと打電。
二の信号は「我、敵空母突撃ス」
ツーツッツーツー、ツーツッツーツー、ツーツッツーツーと打電。
近くを飛行している仲間が受信したり、司令部が受信して何を発見して、何をしたかがわかった。
特攻隊員が突撃する寸前にも信号を打電する。
最後の信号は
ツーーーーーーーーーーーーッ
だけで、この信号が途絶えた時が隊員の最後...
アメリカ軍の無線通信を傍受し、被害状況などを知ることでわかる。(全てを傍受できるわけではない)
特攻隊員達は洗脳されていたという人もいますが、私はそうは思いません。私個人の考えですが、出撃した隊員達は「この一撃が戦局を変える」「戦争が終われば、親、兄弟が食べ物に困らない」「平和な日本になる」そんな思いで出撃したと思います。
洗脳まがいの司令部もあったと思います。
出撃が決まった隊員達は独りにならなかったそうです。独りになると「死」を意識するので、出撃直前まで仲間達と短い時間を過ごしたそうです。
今回は、堅苦しく重い内容になってしまいました。
読んでいただきありがとうございます。
では...(走行距離380.5㎞)






