嫌なことがあった。
私は洗いざらいその出来事を全部書いて友達にメールした。
私は誰にも言えないことが一番辛かったみたいで、友達にメールしたらスッキリしたー!☆

そのメールを送った子は私が聞かない限りなかなか自分の話をしてくれない。メールを送ったときも感想は程々に自分の最近あった良いことを言ってきた。
ずっとこんな事が続いてる…。私は彼女の良い事があるたびに報告を受ける。もちろん返信はその子を喜ばせる内容を送る。
だけど最近それがすごく辛いから距離を置いてる。素直に喜べていない自分がいる。本当小ッさい女だなー…自分。

でも、不幸なときに聞きたいのは誰かの幸せな話じゃなくて同じ気持ちだと打ち明けてくれること。

最近これをずっとひきずってる…

私って友達が自分の不幸を打ち明けられるほど頼られてる存在じゃないのかな…!?うわべだけかな…

みなさんの意見が聞けたら嬉しいです♪
人間は無力だけど、言葉には力がある。だから救われたりすることもあれば、逆に騙されてしまうこともある。

この世にはあまりにも宗派が多く存在してるから自分の頭、耳、目、口、足、心すべてを活用して知る努力が必要だと思う。私はまだまだ何もしてないし宗教を学ぶ入り口に立ってるか立つ前の状態だと思う。

みなさんも宗教を学ぶようなことがあったら、信じて貫き通せるものに出逢えるように一緒にたくさんの世界を知りましょう♪(・ω・)

自分を「教祖」と名乗る人間達は、キリスト教や仏教の教えを勝手に解釈して他の宗教にしてしまう。そして「これを買えば必ずあなたに幸運が舞い込んでくる」という謳い文句で、ありもしない不思議な力が宿っていると説明して高額で物を売る。

…この行為どうなんだろ。もしかしたら宗教のことを詳しく知らない被害者側が悪いと思う人もいるかもしれない。確かに宗教を勉強しなかったことで色々な事件に巻きこまれたり問題が起きてたりするけど、やっぱり騙してる人が何よりも一番最低だ。不幸のどん底で宗教にすがる他なかった、目の前にたまたまあった、人から教えてもらった等それぞれ宗教に触れる理由は様々。

だけど…どんなに高額な物を買った所で幸せは手にいれられないし、高いお金に比例して幸せが比例していくと思ってるならそれは違う。もし何十万円をその間違った人間達に捧げるくらいなら自分の為でも良いし、バラバラになった家族の為でも良いし、宗教を最初から学ぶために書籍を買うためにあてて欲しいと思う。