隠す必要がなくなりましたので、今日からオープンにします。
私は、今月末をもって、現在勤めている会社を辞めることになりました。
思い返せば平成9年に今の会社に入って18年半の間お世話になりました。
いろいろとありました。
入社して1年目に店長が店の金持って逃げる事件とか、正直新卒採用やってる会社でこんなこと簡単に起こるのかよ!とか思いました。若いうちは色恋に右往左往した時期もありましたし、それで出世が止まり得るような事態にも陥りかけました。でも、友人が多いわけでもなく、共通の趣味を持った友人が近くにいなかったということもあり、仕事に打ち込みまくったおかげで(打ち込むものが仕事しかなかったんですよたぶん)そういうことを乗り越え、基本的にはとんとん拍子に出世しました。最終的には数年前に部長にまで上がり、会社の経営の中枢を担うようになりました。年収は1千万になりました。
しかし、1千万の給料をもらうということは、やはり並大抵のことではありません。
上司の言うことを聞いていればいい世界ではありません。
正解のない世界で、自分の責任で判断をしていかなければなりません。
結果が良ければいいですが、そうでなければすべて、どういう形にか変わって、自分のところに返ってきます。でも、自分の肉体的な、時間的な苦しみとなって返ってくる、なんていうのは全然平気でした。また、いろいろな形で精神的な苦しみで返ってくる、なんていうこともありました。
私の場合、単に悔しい思いをするとかいうのは全然平気でした。プレッシャーなんていうものも平気でした。総じてストレス的なものは多くの場合どうということはありませんでした。
リア嫁は冗談で「アンタは耐える星の下に生まれて来たんや」とよく言いましたが、その通りでした。耐えることは、ほとんどの場合、私にとってそれほど大変なことではありませんでした。
でも、「あること」だけ、耐えることがとてつもなく得意な私でも耐えられない、「あること」だけが私を追い詰めました。私にとって、この弱点である「あること」は克服しがたいものでした。
これに気がついたのが平成25年の初春でした。38歳でした。
この会社にいれば、だいたいこれくらいの年収のまま、65歳まで、いや、我々が定年を迎える頃、日本は70歳まで働かないといけない状況になっているでしょう、70歳まで32年間、かなり余裕のある生活を送れるでしょう。
この先32年間も、「あること」に背を向けて、脅え続けながら勤めていくのか?
それは、私にとって、ぞっとする想像でした。あり得ませんでした。
でも、それなりの規模であるこの会社で勤めている限り、「あること」からは逃れることができません。逃れるには、会社を辞めるしかありませんでした。
でも、辞めてどうするの?
逃げ出すだけでしょ?
40近い男、何ができるというわけでもない奴を、誰が雇うの?
別の会社に行っても「あるもの」はあるんじゃないの?
自問自答。
私は一体何がしたいのか。何がしたくないのか。
私はどんなことに喜びを感じ、世の中の役に立ち、報酬をもらい、生かして貰うことができるのか。
私はこれまで何をしてきたのか、何ができるのか。
私はこれまで何ができなくて、何を克服しなければならないのか。
その為には、何をしなければならないのか。どうならないといけないのか。
そうだ、行政書士になろう。
そう決断したのが平成25年3月1日のことです。
賢明な読者のみなさんは「は?」と思われていると思います。
その「あること」から逃げ出さず、克服するには「独立して事業主、つまり、社長になる」ことが必要だったんです。でも、生産手段を持っているわけでもない、特別なノウハウを持っているわけでもない、事業をやる元手になるようなものは何も持っていないのに、事業主に、社長になんてなれません。やっぱり無理なのかな・・・・?
いや、じゃあ、作ればいいじゃん、生産手段。
お金がなくても、製品やサービスを作れる方法や技術を身につければいいんじゃん。
私にとってそれってなんだろう・・・・・あ、行政書士だ。
こんな感じで、自分の中では竹が割れるが如くすっぱーんときれいな、納得性のある決断が行われたのでありました。
決断したら、決断さえしてしまえば、後は簡単というか、それに向かって努力するだけなんですよね。
3月からさっそく独学で勉強を始め、平成25年の11月に初めての行政書士試験を受けました。結果は散々なものでした。「これは・・・独学ではいつまで経っても資格が取れないぞ・・・。」と判断した私は、平成26年の試験では必ず取ると決め、大原さんのお世話になりました。
仕事柄、平日は何時に仕事が終わるかわからないので、日曜日の終日クラスに通いました。週の唯一の休みでしたが、日曜日しか安定して休みが取れないのでしかたがありません。また、日曜日朝から夕方までの講義内容を、自分の中に定着させる為には、月から土までコンスタントに3時間ほどの勉強が必要でした。
ですから、このブログで「ライブ行ってきた」とか「映画見てきた」とか言っている以外は、全部「仕事」「勉強」「寝る」しかやりませんでした。
いや、言いすぎでした。週に3本くらいはアニメ見てました。
そして迎えた平成26年11月の行政書士試験。
行政書士試験は、あらかじめ合格点が決まっているタイプの試験です。
結果は・・・・・得点不足でした。
正式な結果は平成27年1月末発表だけど、そんなの見なくても、自己採点で十分アウト。
リア嫁さんに、もう一年やらせてくれと頼み、許されました。
大原に翌年分の受講料を振り込みました。
「平成27年1月末のラブライブ!のライブ終わったら、もう一年頑張るか」
と心に決めていたら、まさかの合格通知。
平成26年の試験内容があまりに難しすぎたらしく、合格点を下げる補正をした、と。
その結果、滑り込みセーフに。
落ちたと思って、もう一年頑張ろうと心に決めたものだからさあ大変。
身の振り方や将来のことなんか何にも考えてない。
「とりあえず書士会のガイダンス行ってみるか・・・・。」
そりゃ、行けばやりたくなっちゃうでしょ。やりたくて勉強してきたんだからさ。
んでもって、書士の先輩に相談しに行く。
先輩「お前もう一年勉強する気になってたんだろ?どうせ今から開業の準備し始めたって、それなりに時間もかかるわけだし、今働いてる会社だってすぐにやめられないんだろ?だったら社労士(社会保険労務士)の勉強しながら開業の準備したらいいよ。きっとあとで役に立つよ。」
ぶっちゃけ先輩のアドバイス通りにしました。
1月のラブライブ!のライブ&芸カの3連休が終わってすぐ、再び大原さんのお世話になりに行きました。
ここからがなかなかに大変でした。
行政書士の資格の時は、2月スタート11月試験でした。
大原さんのコースの名前も「完全合格コース」という普通の通学コース。
民法全域(総則、物権、債権、家族法)、商法、会社法、憲法、基礎法学、行政法理論、行政手続法、行政不服審査法、行政訴訟法、国家賠償法、地方自治法・・・・・
内容的には広く浅く、って感じでした。
対して社労士の時は、2月スタート8月試験。
コースの名前も「速修コース」といういかにも早いよって感じの名前。
労働基準法、労働安全衛生法、労働者災害補償保険法、雇用保険法、労働保険料徴収法、労働に関する一般常識、健康保険法、国民年金法、厚生年金法、社会保険に関する一般常識、労働経済白書・・・・
内容的には狭く深く、って感じでした。
正直全然きつかった。
どんどんタイムスケジュールがきつくなっていった。アイカツやってる暇もなくなっていった。
ブログ更新ペースが行政書士の時と全然違ったと思う。
やってることは行政書士の時と何も変わらないんだけど、「速修」のペースは通常の1.5倍。
授業も早いけど、その内容を1週間の復習で頭に叩き込まなきゃいけない。
きついのはこっち(後者)。本当の本当に平日は1日3時間勉強しないと間に合わなかった。
定時退社できないと、ここが本当にキツイ。
しかも大原さん、本当にサービス精神旺盛というか、受からせる為にいろいろやる。
ちょっと祝日があったら、すぐに無料の補講をやりよる。
私の仕事、祝日休みじゃないんだわ・・・・・。
これが何回もあったよね。
そんなこんながありつつも、時はどんどん流れていく。
大原で社労士の勉強をする一方で、新大阪近くに安くで良さそうな物件を見つけて、そこを事務所として借りた。行政書士には(たぶん他の士業でも同じなんだろうけど)事務所要件というのがあって、相談者や依頼者のプライバシーを守れるような設備が整っていないとダメなので、そういうのを準備していった。
同期合格者の集まりに行って、開業直後の仕事のしかたや先輩方の話を聞く会にも行って、「一人で生きていけるのか」という不安を払拭する作業もした。
いつでも開業できる状況に、7月にはなっていった。
そんな時、会社のえらい人(私のことを信頼してくれていた人)から、「そろそろ来年の事業の計画を作って、社員みんなに目標を知らせる準備を始めたい。9月からやろう。」と言われた。
この時の心境は、
・9月になって、来年の話をし始めたら、もうとてもじゃないが辞めることは言い出せないぞ。
・今から9月には辞めさせて欲しいと言えば、それはそれは社内に大きな混乱を招くだろう。
・裏切り者!って言われてもしかたないな。辞めるようなことは一切表に出していなかったからな。
「でも、今言わないと、もっともっと大きな不義理をすることになる。」
でした。
ので、その会社のえらい人に思い切って言いました。
もうそれはそれは大変なことになりました。いろんな意味で。
でも納得してもらうほかに方法がありませんでした。
私が辞めることを言い出した件については、全面的に私に非があるので何を言われてもしかたがありませんでした。
これが社労士試験1ヶ月前の出来事です。
非常にあわただしい日々が続きました。
勉強も追い込みどころだというのに、心はとてもあわただしかったです。
そして、
試験本番の3日前の夜。
リア嫁さんのお父さんが亡くなりました。
私が試験を終えるまで、お父さんの調子が悪いことは、私には内緒だったのです。
リア嫁も、リア嫁のお母さんも、リア嫁のお兄さんも、みんな私のために黙っていてくれたのです。なんというありがたさ、なんというつらさ。
もちろん、奈良へ飛んで行きました。やるべきをやりました。
リア嫁の家族は、私のために土曜日までにお葬式を終わらせるというではありませんか。
私はもう・・・・・・・。
お通夜の晩は、お父さんのご遺体と一緒に勉強をしました。
線香の番をしながら勉強をしました。
こういうプロセスで得た結果がこれです。
これは、おそらく落ちていると思われます。
行政書士試験は、あらかじめ合格点が決まっているタイプの試験ですが、社労士試験は結果を見て合格点を上下させるタイプの試験です。そういう意味では「最後までわからない」のですが、例年の傾向から見て、択一37点というのは通るわけないように思います。
応援してくれた方がいたのに、ふがいない結果でした。
だからこそ、今年であきらめることはできません。
来年、もう一度社労士を受けます。
あ、あと、社労士落ちても、行政書士としてはスタートしますので、そちらもお間違えなきよう。
会社からは「部長の重責をたった2ヶ月そこそこで引継ぎなんかできるわけないんだから、年末くらいまでは呼ばれたら会社に来ること」という約束をさせられましたので、しばらくは会社に出入りはするんですけれども。
今は絶賛引継ぎ中です。
社内的には同僚や部下さん達に、私がやってきたことを説明して回っています。
社外的には取引先に事情を説明して「後任は○○になります」と言いつつ、同時に「私のほうはこういう商売をやることになっておりまして」と営業活動をして回ります。
おそらくこういうことをやりながら、忙しく9月が過ぎ去っていくものと思います。
そして10月からは本腰を入れて行政書士活動、ギョウk・・・をがんばっていきます。
やることはいっぱいです。
これまで培った人脈を使った営業、同業さんや他士業との連携先を見つけること、書士会がたくさんやってくれる研修で研鑽、無料相談会で実務経験を積み、広告宣伝活動もしてかなきゃいけませんね。マーケティングももう一度勉強しなおしです。
しばらくの間、お金のかかるオタク活動は難しいかもしれません。
リア嫁のヒモ状態で、おこずかい1万円/月ですので。
早く人並みの所得を得られるようになって、日本橋や秋葉原に行けるようになりたいです。
ひさしぶりの超長文でした。
「あること」については、また日を改めて。
では。
