私7。 | とある中年オタの残念な生活記録!
【前回のこと。】

これは完全なる続き物ですので、前回分が読みたいという奇特な方は、記事テーマから”シリーズ「私」”で探して下さい。

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【大学時代の後半。】

大学3年生。
前回書いたような理由で、大学へは真面目に通っていた。
なんせ、般教も終わっていなかったので。

実家が大学の近くに来てくれたおかげで、怠けることもなく通うことができた。
家庭教師のアルバイトも相当楽チンに小遣いが稼げた。

ここでは初めて言うことになるが、当時付き合っていた彼女は大阪市内に住んでいた。
まあ高校2年くらいから付き合っていたので、結構長い付き合いだ。
毎週末になると、電車で1時間以上かけて大阪に出ていた。
大阪にはこれまた付き合いの長い連れ(Kastorくんをはじめとした)がいたので、週末は楽しかった。

大学での友人とはあまり深く関わらなかった。
やはり、大学2年でサボったり、実家に長く帰っていたことが、お互いに疎遠にさせたのだろう。





その日は突然訪れた。
父が姿をくらました。
会社の人か、取引のある人なのか、関係はよくわからない人が家を訪ねてきた。
なんだかよくわからないが、とりあえずいないものはいないと言うしかなかった。

数日間、こういうことが続いた。

父は帰ってこなかった。何がどうなっているのか、さっぱりわからなかった。



1週間ほどすると、父は帰ってきた。
そしてこのようなことを言った。
・人から預かった100万円を車の中に置いていた。
・どんど焼きをしているのに出くわしたので、車を止め、車の中のゴミを投げ入れて燃やした。
・その時に誤って100万円を燃やしてしまったかもしれない、いや、きっとそう。
・もうここにはいられないので、遠くで仕事をして仕送りをするからお前達はここで生活をしろ。

かくして父は出て行った。
父の言っていることはよく分からなかったが、私たちはそれに従うしかなかった。



これ以降、私と祖母と弟の生活が始まった。
「遠くで仕事をする」といっても、いきなり仕事が見つかるわけがない。
当然、いきなりお金に困ることになった。

私は、家長として生活を支えなければ、と思った。
せめて3人が暮らしていけるお金を得なければならなかった。
しかし、単位を得る為には、日中は大学に行かなければならない。
ということは、夜働くしかなかった。

私は運よくローソンの夜勤のアルバイトをすることができた。
比較的時給もよかったし、一緒に働く人たちにも恵まれた。

朝から夕方まで大学に行き、一旦寝た後家庭教師に行き、その後はローソンで夜勤。
夜勤明けから大学の始業まで寝る。
これで月収は何とか17万くらいあったと思う。

生活は何とかなった。
正直しんどかったが、気持ちは妙に充実していた。
より一層、週末に大阪に出るのが楽しくなったような気がした。





そんな生活にも慣れ、数ヵ月経った冬のある日、大学の学生課から呼び出しを受けた。

「あなたの学費は、3年目も4年目も支払われていないので、このままだと、来年度に単位が取得できても卒業はできませんよ。」

え・・・・・・・・。

目の前が真っ暗になった。

どうしよう・・・・・・。
これだけ働かないと生活が維持できないのに、どうやって学費を払おう・・・・・・。
これ以上どうやって稼いだらいいんだろう・・・・・。

こういう考えで頭がいっぱいになった。

そしてその後、父に対する怒りで頭がいっぱいになった。
私に「頼むから大学に行ってくれ」と言っておいてこれかよ。
3年生の分の学費など、100万燃やした事件よりも前の話だ。

しかし、そんなことを考えてもしかたがなかった。
父には今、それを解決する力がなかったからだ。





大学3年が終わり、4年になろうとしていた。



(つづく)